聖 書 詩篇34篇1節~10節

1:ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌
2:わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
3:わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
4:わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。
5:わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。
6:主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
7:この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
8:主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。
9:主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
10:主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。

金 言 
わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。(詩篇34:4)
 東日本大震災が起きてから来週で満1年です。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。今年東北の被災地は例年にない厳しい寒さが続いているそうです。私たちは、あの震災を境に、自然の猛威が桁外れで、一瞬にして人間の社会に壊滅的打撃を与えるか恐れおののきました。震災は人間から多くのかけがえのないものを容赦なく奪い取りました。科学や統計の英知を極めた21世紀の日本でも、地震の破壊力、影響、広域をあらかじめ予測や把握して防備・避難することはできません。また余震が忘れかけた頃にあり緊張と恐れが高まり、地震予測が発表される度に恐れに拍車がかかります。
恐れに立ち向かう
 恐れの正体は何ですか。恐れは「何を」を失うかもしれないと考え始めるとき、私たちの心にわいてくる感情です。「何か」とは健康、財産、地位と名誉、安全であり家族や友達です。人は自分の人生にとって大切な「何か」を、自分の知恵や力で何とか守りたいと欲して、神の御手に委ねることができなくません。喪失に対する不安は恐れに変わります。恐れに支配されると感情は不安定になり、信仰は後退して霊的に弱くなります。
 詩篇34篇の作者は恐れについて語ります。表題からサムエル記上21:10~15のことだとわかります。ダビデは自分を殺そうと企むサウルを恐れて、1人でガデに逃れてアキシ王のところに逃げ込みました。自分が追っ手から逃げている者であるのをアキシ王に悟られることを恐れて、苦境を切り抜けるためにある方法をとりました。ダビデはまず神様からの知恵を求めました。「わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え」とあるように、神様からの知恵によって気が変になったふりをするという奇想天外な方法を実行し、危機を逃れました。「すべての恐れからわたしを助け出された。」(4節)。ダビデはアキシ王からさげすまれて追放されましたが、自分を慕って集まった仲間たち400名と合流しました。
恐れから解放される
 ダビデは「主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。」(5節)と神に対する信頼があったからこそ、仲間のもとに帰えるために恥ずかしい振る舞いも気にしません。「この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。」(6節)と、苦しみと悩みの一切を神に祈っています。恐怖心から解放されるクスリは神への信頼です。
 「主の使は主を恐れる者のまわりに 陣をしいて彼らを助けられる。」(7節)とあるように、イスラエルの歴史で預言者エリシャが敵に囲まれて恐れをなした若者の目を開いて神の援軍を見せた例(列王記下6:15~17)を挙げています。どんな状況下においても常に神が共におられるという臨在によって、自己を防衛ができなくても自分の全方位には神の援軍という守りがあると信じます。また、すべての必要を神は必ず満たしてくださると信じるとき、「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」(8節)と、詩篇34篇の作者のような喜びと感謝を体験できます(1~3節)。
 恐れは喪失の予感から始まると言いました。恐怖心という目に見えない壁が私たちの前にそびえたつとき、恐れに打ち勝つただ一つの力があります。それは「愛」です。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」(第一ヨハネ4:18)。神は、私たちの罪を取り除き赦すために、そのひとり子イエス・キリストを世に遣わされました。彼は私たちの罪の身代わりとなり、苦しみをもいとわず、あの恐ろしい十字架につかれました。主イエスの十字架は、神の愛が罪の罰という恐れに打ち勝った証でありしるしです。まさしく「愛には恐れがない。」のです。罪人に対して命さえ惜しまない愛で神が私たちを恐れから守ろうとされるなら、私たちはこのお方に全幅の信頼を置いて決して間違いはありません。人の人生は危機と隣り合わせです。どんなに危機管理をしても恐れだけは消すことが出来ません。最後はこの世界を創られた神への信頼を持つことです。
 主イエスの十字架に見る神の愛だけが、私たちから恐れを取り除いてくださることを力強く保証しています。