聖 書 エゼキエル36章26~27節

26 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。
27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。

金 言
わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。(エゼキエル36:26)

毎週、私たちは礼拝の最後に頌栄を賛美します。「父 御子 御霊の おお御神に とこしえかわらず 御栄えあれ」.。このように、私たちは「父」と「御子」と「聖霊」という三つにいまして一つの神を礼拝します。これを神学的な言葉で「三位一体」と言います。しかし三位のうちに上下関係や主従関係はなく、三位はすべて本質において同一です。私たちの信じる唯一の神はこの三つのお姿をもつお方です。三位一体の神はそれぞれに顕著な働きがあるので、これが神のご性質を理解する助けとなります。父なる神は創造主として、御子なる神イエス・キリストは救世主として、聖霊なる神は助け手であり慰め主と言われます。

1.聖霊の隠れたお働き

神学者の渡辺睦夫師はこのように述べています。「この2000年の間、三位一体の神のお一人として、また御子の後、御子の啓示と働きを引き継ぐ『終末の御霊』として聖霊についての聖書の証言にふさわしい理解と信仰があったかというと、実際には御父と御子の『二位一体』と呼ばれても仕方のない状態が続いてきたと言えるだろう。」(聖書神学辞典より)。要するに聖霊は聖書の中で父なる神、御子なるイエス・キリストにくらべて、どちらかというと「隠れた存在」といえます。聖霊は隠れたお方でありますが、だからといって私たちにとって存在が遠くて希薄なのではなく、むしろ聖霊は私たち信仰者にとっては誰よりも何よりも近くて深い方なのです。その深さは「御霊は父なる神の深みまでもきわめる。」とあるほどです(Ⅰコリント2:10)。また御霊は私たちの心の深みまでも知り尽くされ、私たちの祈りを神のとりなしてくださるほどに私たちと親しい重要な関係にあるお方です(ローマ8:23、26)。ペンテコステに始まり再臨までの私たちが生きる教会時代は、聖霊が力強く働かれることで教会の宣教と信仰者の霊性はめざましい成長を遂げていることは使徒行伝で立証されています(使徒9:31)。

2.御霊が人を生まれ変わらせる

今日の聖書箇所でエゼキエルは「わたし(神)が新しい心と新しい霊を授ける。」と言われました(26)。これは新約のキリストにおいて成就します。新しい心はキリストの十字架と復活を信じて救いを受け入れた時に授かります。新しい霊とは聖霊です。どんな人でも救いを信じたと同時に聖霊を受けそのお方はあなたの内に住まわれます(内住の御霊)。新しい心とは悔い改めた者に神がそれを与えられ、人の心の中に起こる神の業が起こされる変革なのです(Ⅱコリント5:17)。次に「石の心を除いて、肉の心を与える。」(26)とあります。石の心とは石のようにかたくなで憐みの少ない冷たい心です。自己中心的でわがままな心です。それとは逆に、肉の心とは自分の考えを絶対視せず他の人の意見を頭から反発しないで柔らかい心で受けとめられ、最終的には神のみこころを知ろうと努め、自我に死んでどのようにも変化できる柔軟な心です。さらに「わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。」(27)。神を信じた者は自分の思いや願いではなく、神が遣わされた聖霊のみこえに従って神の御旨を重んじて従うように変えられます。このようにキリストの救いを受け入れた者はキリストの御霊により全く新しく生まれ変わるのです。

3.御霊を深く知り、御霊に満たされる

私たちは御霊に満たされてその臨在と支配が私たちの心の中心となるとき、聖霊は私たちをマンネリ化した信仰から全く新しい生活や奉仕へと導き入れます。そのためには私たちは三位一体の神の中で隠れたお方である聖霊をもっと深く知りあがめることです。
①御霊に満たされ、御霊によって歩むこと
②御霊は個人にも教会の働きにも臨在し働かれる。
③御霊は初代教会において強さと豊かさを顕示された。
④御霊によって聖さと成長が与えられる。
⑤御霊が教会を導き建て上げられること。
⑥御霊が教会の礼拝や交わりを支配され、宣教やその他の働きを導かれること。