聖 書  コリント人への第一の手紙1章26~31節
1:26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
1:27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
1:28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
1:29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
1:31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

金  言
「有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」 (Ⅰコリント1:28)

「おめでとうございます。あなたは選ばれた人です」。と言われたらたいていの人はドキッとするでしょう。あえてもう一度言います。「あなたは神に選ばれた特別な人です。」CIS(教会インフォメーションサービス)が2009年に調査した統計では、千葉県の全人口約612万人中、礼拝に出席している人は約1万2千人足らずです。実にわずか0.2%弱の割合です。あなたが今朝、教会に来ていることは偶然ではありません。なぜなら聖書には「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」(ヨハネ15:16)とあります。はじめに神があなたを選び、あなたはその神の呼びかけに応答してそのお方を礼拝するために教会に来ていまするのです。

1.神はどういう基準であなたを選ばれたか
 世の中でだれかを選ぶときは、参議院選挙からAKB48の総選挙まで、選んだ人はこの人の特性やキャラクターを他の誰かより気に入ってその人を選んでいます。とすれば驚くことに、皆さんのすべては、クリスチャンの少ない日本で「神のイチ押し」なのです。選びには優れているからとか役立つからというだれもが納得するそれなりの選ばれるわけがあります。ちなみに私は、表彰されたり特別に推薦されるなど、かつて人より目立つことは皆無でしたから、「どうゆうわけで神に選ばれた」のか予想もできませんでした。しかし今日の箇所に神さまがわたしたちを「なぜ選んだ」のか、その選びの基準が書かれているのを読むと自分が選ばれたことがあらためて納得できます。それというのも神がご自身の民を選ぶ場合はこの世の選定基準がまったく逆だからです。この世の賞はすべてより優秀な人を選びますが、神はこの世では愚かと評される人を選ぶというのです。この世はスポーツ界をはじめ競技にはすべて強い者が選ばれます。しかし神が選ばれるのはこの世の弱い者だと言われます(27)。自分に対する評価をこの世の価値基準にあてはめて考える習慣がついている私たちは、神の選ぶ特殊な観点を信じられないのも当然でありましょう。

2.神があなたを選んだのはなんのためか
 しかし神の方には私たちのような愚かで弱い者を選ばれたそれなりの理由があります。それは「どんな人間でも、神のみまえで誇ることがないため」(29)です。もし神のお眼鏡にかなう人がこの世が優秀だと認める人と同じ人物なら、選ばれたその人に注目してしまい、選ばれたのは神のあわれみと恵みによるのではなく、人の努力や天分によっての選びとされてしまいます。選ばれた人に心のおごりができます。しかし神は世が軽んじて歯牙にもかけない身分の低い人を選んで救うことで、その人は全く新しくされます。イエスさまは生まれつきの盲人を見た時、「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(ヨハネ9:3)と言って彼の目をたちどころに癒します。彼はイエスが救い主であるとわかり、無力な盲人からイエスを力強く証しする人に変えられます。私たちも同じです。弱く愚かなお互いですが、神のみわざが私の上に現れるために、「無きに等しい者を、あえて選ばれた」(28)のです。市井の人ばかりでなく、世で有名になった人にもクリスチャンはいます。元日銀総裁の速水優(ハヤミ マモル)氏はクリスチャンです。速水氏は苦難の中から信仰に入り、聖書を定期的に読み、58年間同じ教会に籍を置き、どんなに忙しい時も日曜は教会に行き礼拝を厳守したそうです。それによって総裁時代、国会に呼ばれて質問を受けた時も「主ともにいます」「主われを愛す」「主すべてを知りたもう」という聖書の約束を信じ重責を全うできました。

3.神はあなたを選んでなにを与えたか
 神は土の器に過ぎない私たちを選び、愚かで弱い者に信仰を与え、イエス・キリストによって救ってくださいました。救われた私たちはキリストと結ばれました。こうしてキリストは私たちにとって神の知恵となられました。ですから私たちは世が教える知識に頼ることなく、キリストを知ることで与えられた神の知恵なるみことばを心に貯えておきます。「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。」(詩篇119:130)。愚かな者がみことばを知ることで神の知恵を授かりました。これによって人生のどんな危機や試練も乗り越えることができます。神が与えてくださったのは知恵だけではありません。キリストの救いによって神の義と聖さが与えられ、贖われた者として私たちは神の子どもとなったのです。この世で認められた知者や強者は自分を誇る過ちに陥りやすいです。しかし神に選ばれた私たちは自分の愚かさを恥とせず、むしろ「誇る者は主を誇れ」(31、エレミヤ9:23~24)と神をほめたたえて神に生かされる人となりたいものです。