聖  書:歴代志下2章1節~10節

(1) 主がつむじ風をもってエリヤを天に上らせようとされた時、エリヤはエリシャと共にギルガルを出て行った。 (2) エリヤはエリシャに言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをベテルにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはベテルへ下った。(3) ベテルにいる預言者のともがらが、エリシャのもとに出てきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。 (4) エリヤは彼に言った、「エリシャよ、どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをエリコにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはエリコへ行った。 (5) エリコにいた預言者のともがらが、エリシャのもとにきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。 (6) エリヤはまた彼に言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをヨルダンにつかわされるのですから」。しかし彼は言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そしてふたりは進んで行った。 (7) 預言者のともがら五十人も行って、彼らにむかって、はるかに離れて立っていた。彼らふたりは、ヨルダンのほとりに立ったが、(8) エリヤは外套を取り、それを巻いて水を打つと、水が左右に分れたので、二人はかわいた土の上を渡ることができた。 (9) 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。 (10) エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。

 

 今日はソロモンの神殿建築が私たちに教えてくれるものは何かを考えたいです。

Ⅰ.ソロモンの神殿建築の決心
 ダビデの子ソロモンにとって神殿建築は避けられない、逃げられない使命でした。生まれる前から決まっていました(歴代志上22:9-10)。1節を見ますと「建てようと思った」と書いてありますが、彼は神様からの使命を果たそうと決心しました。神様の使命というものは不思議なものです。ダビデはあれほど切実に望んだのに許されなかった神殿建築。ソロモンは別に望んだわけでもないのに従わなければならない神殿建築。私たちにも使命が与えられています。私たちに与えられている使命を神様のご栄光のためにまっとうしましょう。

Ⅱ.神殿建築の事前準備
1.専門家と労働者を選抜(2節)
 (1)荷を負う者七万人、山で石を切り出す者八万人、監督する者三千六百人。
 (2)巧みな技術を持っている一人の専門家をツロの王ヒラムに要請。
2.材料の準備(3節)
 神殿建築のため材木が必要でした。そのことで父ダビデの時代から関係があったツロのヒラムに人をつかわして香柏を求めました(3節)。
3.神殿建築の意義(5-6節)
 大きな仕事であればあるほど、その意義が大事です。建築の理由を明確にしなければなりません。ソロモンは異邦人の王にも明確な意義を知らせました。聖書の創造主を信じない異邦の王でさえよく理解できるように神殿建築の意義を説明しました。「天も、諸天の天も彼を入れることができない」、「だれが彼のために家を建てることができようか」、「彼のために家を建てるというのも、ただ彼の前に香をたく所に、ほかならない」(6節)
4.取引代金(10節)
 ソロモンは香柏や働き人を雇用する代わりにツロに食料を提供することにしました。10節だけを見ると木を切るしもべたちのための実費ですが、列王記上5章11節を見るとツロの王宮が必要としていた年間の食料をソロモンが提供したようです。

Ⅲ.ソロモンの神殿建築後
 その後、ソロモンの神殿建築後、どんなことがあったのでしょうか。ソロモンの神殿建築の後をみると私たちは少々がっかりするかも知れません。しかし、不完全な人間がやることだから最後が不完全になることは仕方ありません。むしろ、不完全が神様の御心だったかも知れません。なぜなら、完全な神殿を建てられるイエス・キリストが来られるためです。私たちが建てている礼拝堂は完全なものではありません。イエス様が再臨なさるまでのつなぎの建物です。イエス様が来られますと完全な神の都、新たなエルサレムが私たちに与えられます。その時まで私たちは不完全ではありながら、心を込めて主の教会を建て続けなければなりません。

 新会堂も不完全、その中で奉仕している信徒も不完全ですが、それでも純粋な心を持ってささげている礼拝を神様は受け入れて下さいます。それを信じて今日も信仰に励みましょう。