聖 書
マラキ3章1~5節
3:1「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
3:2 その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
3:3 彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる。
3:4 その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、また先の年のように主に喜ばれる。
3:5 そしてわたしはあなたがたに近づいて、さばきをなし、占い者、姦淫を行う者、偽りの誓いをなす者にむかい、雇人の賃銀をかすめ、やもめと、みなしごとをしえたげ、寄留の他国人を押しのけ、わたしを恐れない者どもにむかって、すみやかにあかしを立てると、万軍の主は言われる。

ガラテヤ4章4節
4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。


金  言
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」(3:1)

  12月に入ると街はクリスマスツリーで溢れます。近年はイルミネーションの飾り付けも増えて繁華街はまばゆいばかりの輝きです。先週行った病院には待合室だけでなく救急看護室にまで立派なクリスマスツリーがありました。話しかけたナースは「クリスマスツリーを見ると年末が来たなと思う」と言われて、わたしは心の中で「やって来たのは年の瀬ではなく、救い主なんだけどなぁ」と苦笑いをしながらつぶやきました。今日は神が救い主を世に遣わされたタイミングは絶妙であるという話をしましょう。

1.御子を世に遣わすタイミング
  新約聖書の書かれたギリシャ語では「時」を表す言葉は二種類に分けられます。「クロノス」というのはいわゆる時計が針を刻む時間です。もう一つは「カイロス」これは神のタイミング、質的な時です。わたしたちには神が与えてくださる「カイロス」時があるのです。伝道の書3章1節には「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」とあります。マラキは旧約聖書にでてくる最後の預言者です。彼は神の契約の使者はやがて必ず来ると預言します。旧約聖書と新約聖書の間は中間時代と言われていて約四百年はあったとされます。そしてキリスト降誕と共に新約聖書の時代に突入します。こうしてキリストの降誕されたときを人類歴史上から見ると、それは神の好機、絶好のチャンスでした。

この少し前の時代にアレキサンダー大王が当時の全世界と言われた地域を統一したことで、ギリシャ語とギリシャ文化は一挙に世界に広まります。それを引き継いだローマ帝国も領土を拡大してゆきます。ことわざに「すべての道はローマに通ず」とあるように世界各地からの道は、首都ローマにつながっていました。このように整備された道路、国境が遮ることのない広い領地、唯一つの公用語によって、どんどんと福音宣教が世界中に広まって行く状況が整ったまたとない絶好の機会に、神は救い主を世に遣わされたのでした。これは神のご摂理にかなったタイミングでした。

2.わたしたちを喜ばせる契約の使者
 こうしてわたしたちの救い主は、神のタイミングに世にお生まれになりました。「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。」 (ガラテヤ4:4 )。このようにクリスマスの出来事は、神は今か今かと待ち兼ねた時がついに満ちたので地上で神の業をスタートしました。まず神はかつてマラキが預言した通りに、高齢のエリザベツにバプテスマのヨハネという子を宿らせ、来るべき救い主の道備えをさせました。マラキは「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。」(3:1a)と預言しています。ヨハネ自身も主の宣教に先立って「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。…人はみな神の救を見るであろう」。(ルカ4、6)と人々を悔い改めに導きました。

神はおとめマリヤのもとに御使いガブリエルを遣わし 「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。」 (ルカ 1:31)と告知します。この知らせにマリヤは戸惑い恐れました。マリヤには愛するヨセフという許嫁はいましたが、結婚はまだしていませんでした。人にはこれから起こることを全く予測がつきません。事件はいつも突然で起こり、人の目には面食うような想定外のことばかりです。同じように救い主が地上に来られた時も、人の思いから推し量れば唐突に見えます。それでもわたしたちは神を信頼して行かなければなりません。降誕、それは神の憐みが最善の時になされたと同時に、やがて人類に与えられる無上の喜びの知らせとなったのです。

3.神の時を信じて忍耐と希望を保つ
 わたしたちの人生においても、長く祈り待ち望んでいても一向にかなえられないことがあります。なぜ神は何も行動を起こされないのかと思えることが多々あります。願っていることとは逆に、物事は悪い方向に進んでいるように思える出来事が不意を付いたように起こることもあります。しかしあわててはいけません。考えてみてください。神はちょうど良い時「カイロス」を見計らっているのです。人の目にはわからないところで着々と準備しておられるのです。それはちょうど親がわが子に内緒でその子の喜ぶ顔を思い浮かべながらプレゼントを準備するようです。聖書は「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」そして「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」 (伝道の書 3:11 )と教えます。だからわたしたちは神を信じて待ちましょう。

The best is next to come. 最も良いことは、この次やってくるのです。