聖 書  ピリピ1章1~7節
1:1 キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。
1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1:3 わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、
1:4 あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
1:5 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。
1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
1:7 わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである。

金  言
そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」(ピリピ1:6)

 新しい年に向える初めての聖日です。今年一年52週の聖日を主の恵みを数えて共に歩み一人ひとりが、そして西船橋栄光教会の群れ全体として成長する一年になろうと主に期待しましょう。1914年1月9日はこの群れが初めて礼拝を神さまにおささげした日です。わたしたちはこの年を節目と考えて、過去のさまざまな恵みに感謝しながら未来に向けて「主の花嫁」にふさわし内実を整えられて行きたいと思います。

1.喜びと感謝をもって祈る
 この手紙はパウロがピリピに最初に福音を伝えてから10年後くらいに、ローマで捕えられてその獄中で書かれたとされています。福音が伝えられた後のピリピの教会は、多くの困難や迫害を乗り切って、着実に模範的な集会に成長していました。その証拠はパウロがピリピの教会のことを思い出すたびに、ピリピの教会のことを祈るたびに、どこにいても喜びを味わい神に感謝の念がわきあがってくると手紙に書いていることからわかります(3~5節)。パウロが開拓伝道した各地の教会が、みなピリピのように順調な成長を遂げたわけではありませんでした。教会内に不道徳がはびこっていたコリント教会、グノーシスという異端に悩まされていたガラテヤの教会、その他、誘惑や迫害によって出来上がった群れが消失した教会もあったでしょう。世では大企業でも傾き倒産する時代です。ましてや信仰だけで神の下に集まる教会が二十年続くというのは、あたりまえのことではありません。これはひとえに「神の恵み」と神第一とする人の信仰です。わたしたちはこれを神の恩寵として互いに喜び、感謝をもってことあるごとに祈りあいましょう。

2.良いわざが完成する日
 ピリピの人は福音をパウロから聞いて信じたその「最初の日」からこの手紙が書かれた今まで彼を絶えず助けてきました。ピリピの教会は余裕のある裕福な教会ではありませんでした。にもかかわらずパウロが伝道のために各地を旅行していたときだけでなく、迫害を受けて収監され牢屋に軟禁されたときにも、経済的な支援、熱心な信仰者エパプロデトをパウロのもとに遣わすという人的な支援、教会での祈りの支援を欠かしませんでした。このことをパウロは覚えていて深く感謝しています。わたしたちもパウロとピリピの教会の関係のように互いに愛しあい、愛を行動で示しましょう。教会に集う兄弟姉妹は、血縁を超えた「神の家族」です。イエス・キリストの十字架と復活を信じるお互いが信仰という絆で固く結ばれています。私たちの救いのための神の地上の働きは、イエス・キリストが十字架で死なれた二千年前のカルバリの丘で始まりました。わたしたちはそれぞれが人生でキリストを受け入れたその時に救いは始まり、キリストが再臨されるその日まで更新され続けます。私たちの内にキリストの救いをもたらし、良いわざを始められた神は、生涯それを継続させて、やがて私たちが神と顔と顔を合わせてお会いするその日までに完成してくださいます(6)。わたしたちはときどき洗礼を受けてから何年も経つのに信仰はまるで成長していないとがっかりします。しかし神の計画があなたの人生に新しいことを始められたのですから、責任を持ってかの日には必ず完成してくださいます。あなたが試練にあって打ちのめされたときに不信仰になっても神は見切りをつけたりされません。今の自分自身を見て落胆しないで、自分に対する神のお約束を思い出してそこに希望を置いてください。

3.共に恵みにあずかる者
 パウロはかつてピリピでの投獄された経験があります(使徒16:22~36)。この手紙がピリピに届けられ読まれたとき、あの日、初穂で救われたルデヤ家族や真夜中に救われた看守家族が群れにいたでしょう。ピリピの教会はパウロが裁判にかけられた時も、投獄されている時にも、福音を弁明して証するためにあちらこちらを旅している時も、いつでも忠実にパウロを支援し続けました。その記憶はいつまでもパウロの心から消え去ることなく、離れていても面と向かって会うことが適わなくてもどこにいるときも感謝を持ってピリピのために祈って彼らのことを深く心に留めていました(7)。ピリピ教会はパウロの働きを支え続けることで、宣教を背後で支え「共に恵みにあずかる者」とされました。わたしたちの群れは二十周年を迎えます。神の家族は今までにもまして、共に礼拝や祈祷会や家庭集会に集まり、共に聖書を学び祈り、時に共に試みにも耐え、それでも共に主を喜ぶことで、教会と群れの一人ひとりがあますことなく主の恵みにあずかりましょう(ヘブル10:19~24)。神様がこの群れを愛して責任を持って導いてくださいます。