聖 書 ヨハネ第一の手紙1章5~9節
1:5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
1:6 神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
1:7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

中心聖句
「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(Ⅰヨハネ1:7)
1.神は「光」で、人は「陰り」がある

光の性質は常に明るいことです。つまり嘘偽りという影の部分が全然なく、相手によっては隠すのではなく、誰に対しても真実を言ってはばかることなく公明正大です。神には陰りやへこみいう傷ついた部分が全くなく、一点の曇りもなく汚れなくきよくてまばゆい方です。これらの条件にすべて当てはまるのは神様だけです。だから神は間違いなく光そのものです。「神は光であって、神には少しの暗いところもない。」(5)。人はこれと正反対です。楽天的で常に元気よく明るく見える人でも、すべての人は皆「陰り」を持っています。これは人の生まれながらの罪の性質(罪性)から来ています。

神は創世記1:3で言われました。「光あれ」。するとそれまで混沌とした世界に光が差し込まれました。光は神が造られました。わたしたちが明るい光の中で生きることができるのは、神は光を支配され輝き続けることができるように、その明るさを保たれているからです。「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」(1:5)。わずかでも光が差し込むときやみは消え去ります。光は必ずやみに勝つのです。

光は神が造られた世界を照らすだけではなく、神の光は人の心のやみにも届きます。弟子のヨハネは「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」(1:9)とイエスさまのことを言われました。そして自ら「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(8:12)と公言されました。光である神はわたしたちのやみに光を照らし、真実の光の下に立ち返らせようとされます。

2.やみの中を歩く人

6節に「神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。」とあります。この人は二重生活を送っています。神と交わりをしていと言いながら、この人は光の中にはいません。実際はやみの中を歩いています。つまり表向きは聖書を信じて、クリスチャンとして習慣的に礼拝に行ってみことばを聞いていても、神様は日曜日以外の六日間をどう過ごしているかを問われています。光の中にとどまっている人とは、みことばを「聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人」(ヤコ1:25)です。さらに『「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。』(Ⅰヨハネ2:9)とあります。神は愛ですから神から生まれたお互いも愛し合う姿が光の中で生きる人です。もしあなたがみことばは建前で、本音は自分の考えで行動するならやみを歩く人です。

3.光の中を歩く人になる

神は光です。わたしたちはやみのわざを捨てて光の中を歩く人になりましょう。わたしたちはイザヤ60章のみことばに励まされます。

「起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」(1~2)

異常気象、核の問題、ウィルス感染によるパンデミック、食糧危機、経済破綻、孤独死、この世は暗いやみにおおわれています。また人の心の中にもやみは存在します。

しかし、神の光を信じるなら、やみがどんなに深くても恐れる必要はありません。

「主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。…主がとこしえにあなたの光となり、あなたの悲しみの日が終るからである。」(19~20)

わたしたちが主の光の中にとどまり、光の中を歩くなら神があなたを守られます。聖書は「光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。」(ヨハ12:35)と言っています。わたしたちがいつも光の中を歩くためには秘訣があります。第一に「わたしたちは互に交わりをもち」(7)とあるように、交わりを欠かさないことです。交わりとは「父ならびに御子イエス・キリストとの交わり」(3)です。神との交わり…それは祈りとみことばを読み感動して、救いの鍵となる大切なみ言葉は暗記して黙想することです。第二は罪の告白です。救われて罪が赦されても人には陰りがあり、再び罪を犯してやみをさまようことがあります。そのとき「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、…その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(9)のみことばはわたしたちをやみから立ち返させてくれる約束です。それは時空を超えて「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。」(7)という贖いの血による永遠の効力です(ヘブ9:14)。