聖 書 エペソ人への手紙1章14~23節
(14)この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
(15)こういうわけで、わたしも、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを耳にし、
(16)わたしの祈のたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝している。
(17)どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
(18)あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
(19)また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。
(20)神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、
(21)彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。
(22)そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。
(23)この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

教会はキリストの体であり、キリストは教会の首である。そして私たちキリスト者はこの体を構成する肢体です。これらのものは一体であって、生命的な関係で結ばれています。どのような力でも決して切り離すことは出来ません。この一体性を保つ力こそが絶大な神の力なのです。ここにこの力が三つの部分において表されています。

Ⅰ.キリスト者に働く神の御力 (15~19)
第一は、キリストの体を構成する肢体、即ちキリスト者一人一人に働く神の御力です。

1.パウロの感謝 (15~16)
パウロはエペソ教会の信徒のすぐれた信仰と愛に思いを馳せて心から神に感謝を捧げています。感謝を捧げるということは、信徒一人一人の霊的状態がいかにすぐれたものであるかを示しています。まず主イエスに対する信仰です。そして次にすべての聖徒に対する愛です。縦の関係である神に対する信仰、横の関係である隣人に対する愛です。

2.パウロの祈願 (17~19)
パウロはエペソ教会の信徒がさらに霊的に成長することを願い神に祈りを捧げています。
① 神、栄光の父が、知恵と啓示との霊を賜るように
② 神を認めることができるように
③ 心の目を明らかにして下さるように
④ 望みがどんなものであるか
⑤ 神の国がいかに栄光に富んだものであるか
⑥ 神の力がいかに絶大なものであるか、を知るに至るように祈っている。

Ⅱ.キリストに働く神の御力 (20~22)
第二は、教会の首であるキリストに働く神の御力です。
1.死人の中からのキリストの復活
2.天上におけるキリストの即位
3.キリストの力の優越性
4.キリストの力の永遠性
5.キリストの力の絶対性

Ⅲ.教会に働く神の御力
第三は、キリストの体である教会に働く神の御力です。
聖書の神は天地万物を創造されたお方です。すべては神によって成り、成ったもので神の手によらないものは何一つもありません。神こそはすべてのすべてなるお方です。教会はこの満円(プレローマ)なるお方が、満ちみちておられるところです。常にこのような状態に保って下さるのが、神の絶大な御力なのです。

地上にある教会は理想の姿からはかけ離れた欠点の多い存在です。しかし私たちは現実がいかに弱く、不完全なものであっても、私たちを召して下さった神ご自身に目を向け、この御方の絶大な御力を信頼して行く中に、私たちの成長があり、成熟が期待されるのです。