聖 書 ヨハネによる福音書10章1~15節
10:1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
10:4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
10:5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
10:6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

皆さんは赤ちゃんが泣き止まなくて困ったことや困っているお母さん(お父さん)を見かけたことはありませんか。最近YOU TUBEの動画で赤ちゃんがうどんをすする音で泣き止むという面白い実例を見ました。動画の説明によると、妊婦の胎内音はうどんをすする音に似ているからだそうです。今まで泣き止まなかった赤ちゃんたちの目の前でうどんをすすると、ピタッと泣き止むのは何とも不思議ですが、赤ちゃんとってはお母さんの胎内で守られていた安心できる記憶を音で疑似体験するので、不安が除かれて泣き止むのでしょうか。

1.弱くても守られる羊たち
 赤ちゃんがひ弱でひとりで生きてゆけないように、羊は羊飼いがいなければ自分だけでは生きてゆけない弱い動物です。羊はエサとなる草や飲むのに適した清潔な水がどこに行けば得られるのかわかりません。羊は野原をうろつく獅子や熊など猛獣を追い払う牙や鋭い爪はありません。羊の体つきはずんぐりむっくりしているし、敵から逃れることができる駿足もありません。このような弱い羊が安心して生き延びることができるのは、ひとえに羊飼いが羊をあらゆる敵や危険から守り、羊に必要な良いものを常に与えるからです。従って羊にとって羊飼いは自分のいのちを守る重要な存在になります。愚かで弱いとされる羊ですが、飼い主の声は聞き分けることができました。(2~4)イスラエルでは一つの囲いを複数の羊飼いたちが共用することが普通でした。それでも羊飼いは門に立って自分の羊の名を呼ぶだけで良かったのです。羊は臆病な生き物ですが飼い主が自分を呼ぶ声を聞くと、安心して囲いを出て声の主について行きます。羊飼いもまた似たような羊たちをそれぞれ識別することができました。このように羊と羊飼いの間には強い絆がありました。同じように神様も「わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」(イザヤ43:1)とあなたを救うために名指しで呼んで下さいます。

2.イエスはよい羊飼い
 主イエスは羊と羊飼いの強い結びつきを人と神に当てはめて「わたしはよい羊飼である。」(11)と言われました。
また主イエスは「わたしは門である。」(9)と言われました。この意味は夜になると、羊たちは囲いの中に入りますが、囲いの門には扉がありませんでした。代わりにその門のところに羊飼いが身を横たえて、自らが門となって番をします。夜中になると羊を狙って猛獣や盗人などがやってきます。よい羊飼いは身体を張って羊を守ります。よい羊飼いは命がけで羊を悪い敵から守ろうとします。そのため時には羊飼いが命を落とすこともありました。主イエスは全ての人にとってのよい羊飼いとなられました。羊のように愚かで弱いわたしたち人間を、滅びから守るために命をかけられました。罪びとのわたしたちを無条件で愛して、罪を赦しきよめて新しい永遠の命を与えるために、ご自身の命を十字架の上に投げ出してくださいました。

3.羊に命を得させる
 よい羊飼いは「羊に命を得させ、豊かに得させる」(10)のです。主イエスは羊にまことの命を得させただけでなく、その人生を最大限に生かすことができるように豊かに祝福してくださいます。
もと羊飼いでのちにイスラエルの王となったダビデは、その豊かさについて詩編23篇に記しています。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。…主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。…わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。…わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。」(1、3、5、6)とその限りなく豊かなありさまをほめたたえています。ですから羊が飼い主の羊飼いから名を呼ばれたらどこまでもついて行くように、わたしたちも「主はわたしの牧者です。」と信じて従ってまいりましょう。あなたの人生を限りなく豊かなものにして祝福してくださるのは、このお方なのです。