聖 書:エペソ人への手紙4章1節~6節
4:1 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。 4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
十人十色、人にはそれぞれ個性があって一人として同じ人はいない。オーケストラのじょうかもし出すあの絶妙のハーモニーは一種類や二種類の楽器では到底表現することは出来ない。十音をあたかも一音のように表現するのは指揮者の力である。もし世界に一つの音や色や香りしかないとしたら、もはやそれは死んだ世界と言っても過言ではない。神は世界をそれぞれ種類にしたがって創造された。人もまた同様である。世界が今日も平和であるために必要なことは、真の指揮者である神ご自身に従うことである。教会においてもまた同様である。聖書はそれを「聖霊による一致」という。
Ⅰ 一致のための自覚 (1a)
パウロは自分のことを「主にある囚人」と言っている。彼はまた「兄弟たちよ、あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」(Ⅰコリント1:26~28)と言っている。われらもまた主にある囚人としての自覚に立ちたい。
Ⅱ.一致のための心得 (1b~3)
人にはそれぞれの使命があり、責任がある。政治家、教育者、経済人、医者、芸術家としての歩みがある。キリスト者はキリスト者としての使命がり、責任がある。
1.召しにふさわしく歩くこと。私たちは「キリスト者」(キリストに属する者)として召された者である。その身分、その特権、その栄誉などにふさわしく歩くことが肝要である。
2.できる限り謙虚であること。謙虚とは謙遜であり、謙ることである。それは傲慢、高ぶり、思い上がりと対極にある心の状態である。分かり易く言えば人を見下すことではなく、見上げることである。すべての人を自分よりもすぐれた者とすることである。
3.柔和であること。柔和とは軟弱さや優柔不断を意味するものではない。それは傲慢、不平不満、裁き、憎しみ、妬みなどの悪しき思いから解放された心の状態である。
4.寛容であること。寛容とは許し難いことを許し、受けいれ難いことを受けいれる、優しくて広い心である。
5.愛をもって互いに忍びあうこと。円満な人間関係を維持するためには互いにゆずり合う精神が必要である。自己主張が強すぎると関係は難しくなる。忍び難いことを忍び、耐え難いことを耐えることが必要である。
6.平和のきずなで結ばれること。私たちを結び合わせている絆は、キリストにある平和である。我ら一人ひとりのうちにキリストにある平和(平安)のうちに存在していることが前提である。
7.聖霊による一致を守り続けること。我らキリスト者には聖霊が与えられ、我らは常に聖霊の導きのうちに歩む者とされている。改めて聖霊による一致をつくり出す必要はない。一致を破る要因を注視しつつ、これを守るように努めなくてはならない。
Ⅲ.一致のための基盤 (4~6)
ここに七つの共通の基盤が記されている。
1.からだは一つである。私たちは一つの「キリストのからだなる教会」の一員である。
2.御霊一つである。私たちが頂いている御霊は「キリストの霊」である。
3.望みは一つである。「望みは一つ」とは、目標、ゴールが同じであると言うことである。
4.主は一つである。私たちの信じる主はキリストであり、我らの贖い主であるキリストに他ならない。
5.信仰は一つである。私たちの信仰とは「あなたこそ生ける神の子キリストである」という告白に立脚している。これこそが私たちの信仰の土台である。
6.バプテスマは一つである。聖書は「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」(Ⅰコリント6:3~4)と教えている。
7.神は一つである。私たちが信じる神は「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神」である。
私たちが一致する基盤は以上の七つである。この基盤に立つとき、誰であれ、何事であれ、私たちの一致を揺るがすものは何一つない。わたしたちはこの基盤に立脚しつつ、自分たちの良い個性を尊重しつつ、なおかつ指揮者である神に従い、一致の心得を十分にわきまえながら、聖霊による一致を守り続けることに努める者でありたい。