聖 書:ヨハネによる福音書1章1~5節、9~14節
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
1:10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
  今年の待降節(アドベント)が本日から始まりました。クリスマスの意味は「Christ(キリスト)のmass(ミサ)」「キリストを礼拝する」で、本来イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。現代ではクリスマスは宗教を問わずして世界中でお祝いされていますが、キリスト教では最も重要な日とされているのはクリスマスよりイースター(復活祭)とされています。このクリスマス(キリスト降誕祭)に向けて4週間前から主を待ち望んで準備をしていく季節が待降節です。

 

1.神の言(ことば)であるイエス
  「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1)。ヨハネ福音書の始まりは詩のようにシンプルで美しい響きがあります。ヨハネはキリストのことを紹介する際に、「キリスト」と言わずに「言(ことば)」と表現をしました。この箇所を「言」から「キリスト」と読み替えてみると納得できます。「言」すなわちギリシャ語で「ロゴス」は、聖書になじみのない異邦人にもわかりやすい表現でした。父なる神は人が目で見たり手で触れたり、御声を直接聞くことはできません。しかし神であるイエス自身が「受肉した神の言葉」なられたのです。

「初めに言があった。」とある初めとはこの世界の始まりのときです。聖書には「地は形なく、…やみが淵のおもてにあり」(創世記1:2)と記されています。新しく翻訳された版には「地は茫漠として何もなかった。」(新改訳第3版)とあります。この世界の創造者である父なる神は無にして暗闇の世界に向かって一言、『「光あれ」と言われた。すると光があった。』(同2)とあり闇を切り裂くように突然、光は生まれました。このときにイエスも共におられたのです(ヨハネ1:1~2)。創造の初めから神と共にいらして、イエスはわれわれ人類が住みよい世界を創り上げるために働かれました(同3~5)。イエスが全世界の主権、統治、支配を持たれるお方であるわけはここにあります。お従いしてゆきましょう。

2.闇に輝く光であるイエス
 イエスは天地創造のわざを終わって、あとは人に任せて退去されたのではありません。わたしたちを愛しすすんでこの世界に介入するために、天の神の座を降りて人としてお生まれになりました(ピリピ2:6~8)。

人は神によって造られ、神の息吹を吹き込まれて肉体だけでなく、内側にたましいを宿す存在になりました。イエスは神からのまことの命を受け、その命を人に与えるまことの命の源なるお方です。「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」(同4)そしてこのまことに命を持つイエス・キリストだけが、人にまことの命を授ける事ができます。この命は人を罪の闇から引き出す光です。

イエスは言われます。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)。 「わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。」(同12:48)。世の光であるイエスを信じましょう。

3.すべての人を照す光であるイエス
 人は各々自分が正しいと思うことを行い、自分の義を盲目的に信じて生きています。しかし自分の心が闇にむしばまれて悪と罪のとりこになっている自分に気がつきません。「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。」(ヨハネ3:20)のです。10~12節の人々もイエスを神と信じない心の頑なな人々です。そこでイエスは「彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得…」(使徒26:18)とされました。「彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力(特権、資格)を与え」(同1:12)ます。それは人間的な努力や血統によって得られるのでなく、ただ十字架による救いを信じる信仰によってまことに命を得るのです。

「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。」(2コリ4:6)心を閉ざしていないで鍵を開けてキリストをお迎えしたい。