聖 書 イザヤ43章1~7節
43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
43:2 あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。
43:3 わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。わたしはエジプトを与えてあなたのあがないしろとし、エチオピヤとセバとをあなたの代りとする。
43:4 あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。
43:5 恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。
43:6 わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。
43:7 すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。

  「お年玉」とは、「年神=としがみ」に由来する神道の言葉です。神道においては「三種の神器(さんしゅのしんぎ=鏡・玉・剣)が、ご神体のように考えられています。人々は年初に門松を立て、鏡餅をお供えして「年神」を迎えました。神様に供えた鏡餅には神様の「魂(玉)」が宿っていると考えられ、それを神からの「賜物」、「魂(玉)」ということで「お年玉」となったと言うのが通説です。お正月に因んで「みことばのお年玉」について考えて見ましょう。

Ⅰ.お年玉の贈り主
 子供の頃のお正月の思い出は、おせち、お雑煮、お汁粉、羽子板、コマ回し、トランプ、そしてお年玉でした。お年玉に関しては〈誰から頂く〉よりも、その〈金額〉に最大の関心があったのも事実です。本日のテキストでは「贈り主」について次のように記しています。
第一に、あなたを創造された主、あなたを造られた主
第二に、あなたの神、主、イスラエルの聖者、あなたの救主
第三に、これを造り、これを仕立てたお方です。

Ⅱ.お年玉の受取人
 「ヤコブよ、イスラエルよ、」(1)と名指しておられます。ヤコブは父イサクと母リベカの兄エサウと共に双子として生まれました。兄エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となり、ヤコブは穏やかな人で天幕に住みました。(創世記25:27)。しかし、実際は悪賢い性格の人でもありました。ヤコブは二回にわたってエサウを騙しました。最初はエサウから家督の権利を奪い(25:29~34)、二回目は父イサクの祝福を奪いました。(27:19以下)。その結果、ヤコブはエサウの憎しみを買い、兄エサウから逃げるようにして流浪の旅に出かけたのです。ヤコブは「ベテル=神の家」(28:10以下)において新生の恵みに与り、「ヤボクの渡し」(32:22以下)において聖潔の恵みに与りました。その証として神はヤコブ(押しのける者)の名前をイスラエル(神と共に支配する者)に改名されました。
イザヤの生涯を紀元前760~680としますと、彼は紀元前722年のイスラエルの滅亡は経験しましたが、紀元前586年のユダの滅亡は100年近く先のことになります。ですからお年玉の受取人はイスラエル民族に限らず、歴史に存在するすべての人々が対象であると受け取ることができます。

Ⅲ.お年玉の内容
 1.恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
2.わたしはあなたの名を呼んだ。
3.あなたはわたしのものだ。
4.あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共にいる。
5.川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。
6.あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。
7.あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する

イスラエル民族は紀元前700年頃から周辺諸国の侵攻を受け、余儀なく各地に離散し、紀元後70年にはローマ帝国によって全世界に離散させられました。イザヤは「わたしはあなたの子孫を東から来させ、西からあなたを集める。」(5)と遠大な予言をしています。この予言はイスラエル国家の回復とも考えられますが、同時に現代社会に対する祝福の約束でもあります。主は「わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果てからこさせよ。わが名をもってとなえられる者をこさせよ。」(6b)と命じておられます。これは終末時代における全人類への宣教のために、お年玉が使われることを神は期待しておられるのです。

今や、世界はあらゆる分野において連携から分断へと大きく変わろうとしています。キリスト教会だって決して例外ではありません。果たして主の御心は何処にあるのでしょうか。神から頂いた「お年玉」をどのように使うかが、今、問われているのです。

<祈り> 主よ、新年を与えて下さり感謝いたします。今年もあなたのお言葉に従って参りますから、どうか日々か欠かすことなく私たちを恵みのお言葉に満たし、養って下さい。アーメン。