聖 書:ピリピ4:8~9
4:8 最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
4:9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。
先週はピリピ人への手紙の連続講解に戻った。パウロは8節で最後にと書き始める。先に3:1で最後にと言っているので、最後の最後にとのパウロの思いがある。
Ⅰ.徳とされるもの(8節)
パウロは8節で信仰者の持つべき6つの徳目を挙げて、これらを「心にとめなさい」と言う。聖書で心に留めた人の代表は主の母マリヤである。羊飼いの礼拝を、イエス様の12才の過越しの祭を母マリヤは覚えていた。澤村五郎師は、彼女は祈り深く、思慮深く…人格の重さとその力とは、その人のする祈りと黙想の量に正比例すると記されている。私たちもこれらの勧めを自らに照らし、心に覚えるものとなろう。
1)真実なこと:イエス様ご自身が真理(ヨハネ14:6)であり、真理と真実は同じ語である。イエス様が備えられた道、与えてくださる命によって真実に生きる者とされていく。2)尊ぶべきこと:尊ぶという語には誉、誠実、高潔という意味がある。聖書に多く出てくる尊いは、神様、イエス様、私たち自身、救い、聖日、戒め…。これらを心に留めよう。3)正しいこと:この語は正義、公正を意味する。義なる神様によって私たちも、十字架のあがないによって義とされる。4)純真なこと:聖いと同じ語源から来ている。この世の道徳的な清さも求められるものである。信仰者はイエス様の十字架と、聖霊によって聖くされる。5)愛すべきこと:愛想の良い、魅力的なという語である。地の塩とはこの世に溶け込んで、その目的を果たす。出会う人々にキリストの香りを放つ者とされたい。6)ほまれあること:好評を得た、広く推奨されるという意味である。普段の生活の中で周囲の人々に受け入れられる生活を送ることが第一である。
徳といわれるもの、称賛に値するものに心を向けなさいと勧められている。
Ⅱ.伝えられたもの(9節)
パウロは9節でどのような形で、信仰が伝えらたのかを思い起こさせる。
1)学ぶ:与えられた知性によって、知恵や知識を学んでいく。
2)受ける:受け継いでいくという体験である。身に付けて行く。
3)聞く:肉体の耳で聞くこと、霊の耳で聞いていくこと。
4)見る:肉体の目で見ること、霊の目で見ていくこと。
福音は全人格的に及ぶが、私たちも知的、体験的、感覚的に救いを受け止めていくものである。「これを実行しなさい」とある。信仰者の歩みは、単なる修養ではなく、行いの実となっていかなければならない。心に覚え、実行する者となろう。
Ⅲ.主の約束(9節)
徳とされるものに心をとめ、伝えられたものを思い起こすなら、「平和の神が、あなたがたと共にいます」とある。ここでは愛ではなく、義でもなく、平和の神とある。7節「神の平安」と9節「平和の神」の平安と平和は同じ語になる。私たちの心にイエス様の救いを通して罪の赦しの平安を与えてくださる神様は、この世に向かって争いや悪を滅ぼす平和の神である。
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。(?テサロニケ5:23-24)