聖 書:マタイによる福音書5章13~15節
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。

イエス様は身近なものにたとえて、お話をされる名手でした。あるときイエス様は弟子たちに「あなたがたは地の塩です。」と言われました。

1. 地の塩とはどんな意味
まず塩にはどんな役割がありますか。昔、冷蔵庫がない時代には食品が傷んで腐るのを防ぐために、長く保存する魚を塩づけにしました。今でも梅干しや漬物をするときは塩をたくさん使います。塩は殺菌作用があるので防腐剤の役目を果たすからです。しかも砂などの不純物が混じらない、純粋な塩であるほど塩気の効果は出ます。キリスト者の「地の塩」としての役割もそれと同様です。罪によって腐敗した地上では、倫理や道徳に照らせば悪いことも、世の中では当たり前とされ黙認されています。たとえば婚前交渉の結果の「できちゃった婚」、不倫、胎児の中絶、いじめ、偽装、賄賂など、キリスト者はこれらの罪を見過ごさず、悪に対して「ノー」と拒絶することです。たとえそれが大勢の人が平然とやっていることでも、悪と罪に加担や許容しないことです。わたしたちは頭が固いとか、古い考えだとあざ笑われても、一貫した態度でいなければ、キリスト者は「塩のききめ」(13節)を失ってしまいます。
さらに塩には素材の旨味を引き出す力があります。塩は少な過ぎると物足りないし、多過ぎれば塩っぱくて料理は台無しです。過ぎたるはなお及ばざるが如しと言われるように、塩加減がちょうど良い「塩梅」になるとはじめて料理の引き立て役になります。塩は料理の隠れた立役者です。塩は塊のままではではなく、砕かれて溶け込んで姿を消すことで効果が出ます。同じくキリスト者は自己主張をしなくても、信念を貫き悪に流されず、愛をもって真理を語り「地の塩」となって姿が見えなくなるときこそ、世の中に大きな影響力を発揮できます。

2.世の光とはどんな意味
 光の役目はやみを照らすことで世を明るくすることです。やみの中でも小さな灯をともせばやみを消し去ります。また光は殺菌効果があります。日の光にさらすと紫外線によって消毒します。世の中は霊的な暗黒なので、人の心は悪事を企み暗いニュースが世界を覆っています。それは人が神のことばに逆らい、神から離れて自分の好き勝手な己の道を歩んでいるからです。「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。」(ローマ1:21)とみことばが示しています。やみの特徴は見えないことです。
しかしイエス様が救い主として来られ、神の国は到来したと知らせました。弟子たちに向かって「あなたがたは、世の光である。」と励ましました。だから光が暗やみと悪いものを駆逐するように、世にあって光の子として主から光を受けて、やみの世を照らす光となるべきです。
かつてわたしたちは罪のためにやみを好む者でしたが、神の愛と憐れみのゆえに十字架によって暗やみから救い出されました。世の光であられるイエス様に従う者は、再びやみの中を歩むことはありません。自分の内側に「いのちの光」を持つ者になったからです(ヨハネ8:12)。

キリスト者は「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(16)とイエス様は弟子たちに言われました。キリスト者が世の光として生きる最終目的は、人々が神をあがめるようになることです。