聖 書:ルカによる福音書 第15章1~7節
15:1 さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
15:2 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
15:3 そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
15:4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
15:5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
15:6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
15:7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
ルカによる福音書15章は3つのたとえで構成されており、この3つの譬えに共通のテーマは「失われたものを見つけた喜び」です。1~7節はいなくなった羊、8~10節はなくした銀貨、11~25節はいわゆる放蕩息子、26節以降は兄息子と父の会話だ。たとえが語られた場面には、イエス様の他に二種類のタイプの人間が登場する。収税人や罪人などイスラエルの社会からさげすまれた人たちと、パリサイ人や律法学者たちなどユダヤ教の指導者として一目置かれ尊敬されていた人たちだ。イエス様に対する彼らの態度は正反対だ。収税人や罪人たちはイエス様を喜び慕って彼の話を聞こうとして集まっていた。他方パリサイ人や律法学者たちはイエス様のする事なす事すべてが気に入らずつぶやいてイエス様を非難した。
この日もイエス様が収税人や罪人たちを招き一緒に食事していることを、パリサイ人や律法学者たちはそれを見咎めてつぶやき始めた。そこでイエス様はいったいなぜ、汚れた者として社会から嫌われた人たちと交わり共に食事をするのかを、たとえを用いて語られた。今朝は15章の最初のたとえ「迷子の羊」を取り上げる。
1.あなたを探し歩く神
旧約聖書では人は羊にたとえられた。(イザヤ40:11、エゼキエル34:11~22など)羊は羊飼いによって敵から守られ、良いエサや水をあてがい養われる。そのように神様はわたしたち羊にとって羊飼いのようなお方だ。新約聖書ではイエス様ご自身が「わたしは良い羊飼い。」(ヨハネ10:11、14)と言われた。
たとえは100匹の羊を育てている羊飼いが夕方になり、放牧していた羊を囲いの中に入れる際にその一匹がいないことに気づく。羊飼いはその一匹のためなら野原に99匹を残しても、いなくなった一匹を見つけるためにあちらこちらを捜し歩く。羊飼いは迷子の一匹の羊が見つかるまで忍耐強く捜す。そこに失われたものをたやすくあきらめないで真剣に追い求める神様の深い愛の姿を見る。(ルカ19:10)
2.あなたを見つけ喜ぶ神
ついに羊飼いはいなくなった羊を見つける。羊飼いはさっそく大喜びで羊を肩に乗せる。おそらく見つかったとき、さ迷い歩き疲れた羊は衰弱して自分の足では遠い道のりを歩いて帰る事ができなかったのかもしれない。そんな羊をあわれんで羊飼いは自分の肩に乗せて肌身離さず大切に連れて帰った。羊飼いは家に帰り着くと見つかった羊を見せてみんなで祝うために、さっそく友人や隣り人を呼び集めて『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』(6)と仲間と共に喜びを分かち合う。羊飼いの手放しの喜びように、失われていた一匹の羊に対する並々ならぬ愛情を見る。羊飼いは100匹の羊を所有していても一匹一匹の羊にかけがえのない価値を見いだしている。このように羊飼いなる神様はわたしたち羊の一匹でも主のみまえに失われて、羊が自分勝手に滅びの道を猛進することを悲しまれ命がけで羊を守り救おうとされた。イエス様はこう断言されている。「よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11b)
3.神にとって大切なあなた
人間はだれもが生まれながらに罪の遺伝子を持って生まれる。罪を犯すから罪人になるのではなく、もともと罪人だからその行いに罪が生じた。いわば人はみな神様のみまえから逃げ出していなくなった羊のような存在だ。神様は失われた人をあわれんで愛し人を捜し求める。そして罪と滅びから救い出すために、神ご自身が人の子としてお生まれになり、人間の罪一切をその身に受けて、十字架にかかられて死の刑罰を受けられた。イエス様は完全に死なれたが、ご自身が予告されたどおりに、三日後に墓からよみがえられ今も生きておられる。今わたしたちに代わって十字架で罪を受けられたイエス様を信じて罪を悔い改めるなら、あなたは自分の罪から救われる。神様と断絶していた音信不通の関係も回復する。神様にとってあなたは、何ものにも代えがたい大切な存在であることは紛れもない事実だ。それゆえ神様はどこまでもあなたを探し求めてやまない。造られたもののまことの価値を知っているのは設計者だ。あなたがどれほど価値をもって生まれたかは、あなたを設計して造られた神様が熟知しておられる。今神様の救いをためらわず受け取ろう。