聖 書 ルカ2章1~7節
(1)そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
(2)これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
(3)人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
(4)ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
(5)それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
(6)ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
(7)初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

二週間前からアドベント週間に入り、教会だけではなく商店街はイルミネーションや大きなツリーがきらめき、住宅のドアにまでリースが飾られているのを見ると、年中行事と見なされている日本のクリスマスを少し惜しいと思う気持ちは否めません。それでもクリスマスはやはり心は和みます。鎖国の時代に日本は約270年の長い年月キリスト教禁教と弾圧を強いたという暗い歴史を持つ国ですが、現在の国民性にこれだけクリスマスを祝う習慣が根付いているのです。それならわたしは神様のあわれみと将来のご計画に期待したいです。いつの日か日本が救い主の到来を祝うために、クリスマスを喜ぶ国になることを願って、わたしたちはことさらに祈ろうではありませんか。

1. 救い主は神が定められた「その時」に来られた。
今朝、読まれた聖書箇所は、皆様に良く知られた降誕のストーリーです。ですがあらためてこの箇所から気づかされたことを考えます。それはイエス・キリストの誕生が歴史的な事実であることです。1~2節には二人の名前が出てきます。一人目はローマの最初の皇帝アウグスト。もう一人はシリヤの総督クレニオです。この人たちは、キリスト教以外の世界の歴史の中で記録が残されています。ルカは歴史家ですから、イエス様の誕生を記すにあたって、これが史実に基づく出来事であることがわかるように、わざわざこの二人の名前を出しています。わたしたちは中学校で習う西洋史で、ローマの最初の皇帝はアウグストであると学び、彼の治世した時代にイエス様はお生まれになられました。イエス・キリストの誕生は「昔々あるところに」ではなく、アウグストの時代であることが証明されます。そして寓話やたとえ話ではなく、歴史上の出来事だったことがわかります。さらにこのとき人口調査が行われたことにも注目しましょう。ヨセフはダビデの家系でしたが、ガリラヤのナザレでマリヤと暮らしていました。ところが人口調査の登録を済ませるために、140㎞も離れたベツレヘムに身重のマリヤを伴って長旅をしなければならなくなりました。(5)こうして旧約聖書で預言された「キリストはダビデの子孫として生まれる」(サムエル下7:12~13)、さらに「ダビデの町で生まれる」という預言が成就するのです。(ミカ5:2)

2. 救い主はまず「彼らに」会うために来られた。
神様は救い主が今宵お生まれになられたという特別な知らせを、最初に知らせる人たちをあらかじめ決めておられました。神様が選ばれた人は高貴な身分の人ではなく、聖書に詳しい宗教学者でもありません。野宿をしながら羊の番をしていた純朴で貧しい羊飼いです。クリスマスの晩に救い主の誕生を告げられたのは、この羊飼いたちだけなのです。羊飼いたちは野原の土の上にそのまま寝て、家に中で安らかに眠ることなどない厳しい環境を生き抜いてきました。羊飼いたちは無学であったので人からは軽んじられ、自分たちもさしたる希望など持ちえない人々でした。神様はそんな身の上の羊飼いたちをあえて選ばれて、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。」(11)と高らかに告げました。神様は行き詰って望みを失いかけている人を励まして希望を示されます。

3. 救い主を「いま」お迎えする心の準備
住民登録をするためにたどり着いた旅先の地ベツレヘムで、マリヤは預言された通りに男の子を生みます。人の目には奇異に映ることも、それらすべては旧約聖書の預言に基づいた神様のご計画の通りでした。マリヤは家畜小屋で子どもを産みます。出産するにはおおよそふさわしくないと思える不衛生で寒々しい場所でした。神の御子であられるのに、イエス様は粗末な布にくるまれて、飼い葉おけに寝かされました。しかしそこは最初に呼ばれた身分の低い羊飼いたちでも、臆することなく救い主に近づき、他の人に気遣いなく神様をあがめられる場所でした。
ところでクリスマス気分で心はウキウキ弾んでも、あなたの心の関心事はイエス様ではなくて、常に他のことに向いていているなら、そこはあのベツレヘムの満室の宿屋のようです。「客間には彼らのいる余地がなかった」(7)のです。今年のクリスマスに「主よ、この貧しく汚れた心に来てください。そしてあなたの聖なる正しい光で照らしきよめてください。」と救い主をお迎えする心の準備ができていますか。心の肝心なところに救い主イエス様をお迎えするゆとりを持ちませんか。