テサロニケ人への第一の手紙5章23節~24節

(23)どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。(24)あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。

パウロはテサロニケ教会の人々についてテモテから吉報を貰いました。その感謝と更に信仰が成長していくように励ましの手紙を書き、最後にこの祈りを捧げています。
Ⅰ.教会の現状とパウロの勧め
 テモテの報告はパウロの心配を取り除くものでした。彼らの信仰と愛は患難の中で成長していました。しかし教会の中には不品行な者や兄弟を踏みつけたりだましたりする者がいたようです(4:5,6)。そのため清く歩むように戒め、また兄弟愛の実践(4:1-12)、再臨について正しい知識を伝え、主を待ち望むように勧めています(4:13-5:18)。
Ⅱ.神の御業(23)
 ①平和の神ご自身が全くきよめて下さる
 地上の教会には様々な問題や課題があり不完全です。しかし神は神の子たちを汚れたままにしておくことはなさいません。きよめの主体は神ご自身です。十字架において贖いを完成して下さった主は、不完全な私たちを愛をもって導き、成長させ、全ききよめへと導いて下さるのです。主を信頼し、主に委ねていきましょう。
 ②責められるところのない者にして下さる
 「霊と心と体」とは人間の全存在、全人格を表しています。霊は神との交わりを求め、心に平安が与えられ、体も神に喜ばれる生活をするように変えられ、そして再臨の時に責められるところのない者にして下さるのです。
Ⅲ.パウロの確信(24)
 パウロは、この祈りは必ず聞かれるという確信を持って祈っています。
 
 ①神が召されたのだから。神はわたしたちを「御国とその栄光とに召してくださった」
  (2:12)。神の「召し」は変わることがありません(ローマ11:29)。
 ②神は真実であられるから。(Ⅰコリント1:9)神は嘘、偽りをなさらない。
 
 ③神は始められたことを必ず完成させて下さるから。(ヘブル12:2)
 教会においても、個人においても様々な弱さや不完全なところがあります。しかしパウロは主の再臨を救いの完成の時として確信し待ち望んでいます。
 平和の神を信頼し、互いに励まし合っていきましょう。不安な暗い時代だからこそ神の国を受け継ぐ私たちが永遠の恵みを一人でも多くの方々に伝えていきたいです。

テサロニケ人への第一の手紙4:1~12
4:1 最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。
4:2 わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。
4:3 神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、
4:4 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、
4:5 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、
4:6 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。
4:7 神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。
4:8 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
4:9 兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、
4:10 また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。
4:11 そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。
4:12 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。

ローマ人への手紙11:29
神の賜物と召しとは、変えられることがない。

コリント人への第一の手紙1:9
神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。

ヘブル人への手紙12:2
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。