ヨハネによる福音書12章24節~26節
(24)よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(25)自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。(26)もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。
今日の御言葉はイエス・キリストがただの言葉だけではなく、自ら身を持って私たちに証明して下さった教えである。イエス・キリストは堕落してしまったこの地を救い出すために神様の国から来られた一粒の種である。その尊い十字架の犠牲によって人類の数多くの人々が救われたのである。主は私たちにもこのような犠牲の生き方を要求しておられるのである。私たちは天国からこの地に特別な任務を頂いて、派遣されている一粒の種である。私たちは地に落ちている一粒の種としてこれから何をするべきであろうか?
Ⅰ.主からの生命力を持っているか
地に落ちる前に最初から命がない種は絶対、実を結べない。主から霊的な命を頂いていない人は実を結べない。自分自身が救われていないのに他人を救うことは出来ない。一人の魂を救い出すためには霊的な命の力が要る。まず救われないと何も良いことは始まらない。
Ⅱ.何を目指して生きているか
主から頂いた命をどこに使っているかと言うことである。目標がどこにあるかということである。今日の御言葉で一粒の種は二つの中で一つは選択しなければならない。主の為に死ぬか?自分の為に生きるか?「主の為に生きる」と言うことは神様の御国のために生きること、神様の教会の為に働くことである。「自分の為に生きる」ことは教会の生活は出来るだけ、短くして、自分の為にほとんどのお金と、時間、関心を注ぐことである。私たちは神様の国からこの地に来るとき、それぞれの使命を持って来た。その使命を生きている間に果たさなければならない。主から使命を頂いた以上、それを果たさずに天国に帰るわけにはいかない。その使命が何よりの大事な人生の目的である。
Ⅲ.約束の御言葉を持っているか
必ず成し遂げて下さる主の約束の御言葉が要る。キリスト教の歴史の中で数え切れないほどの信仰の先輩たちがこの御言葉を信じて、人生の生き方が変わり、主の為に大きく用いられた。約束のみことばが成就されるとき、我らの人生も輝く。
私たちは誰が見ても良き素晴らしい実を人生の中で結びたいのである。その為には今日の御言葉は大事なことを教えている。主からの生命力があるか、現在何を目指して生きているか、主からの約束の御言葉を持っているか。