説教題:「神のみわざが現れるため③
         ただ一つのことを知る」
聖 書:ヨハネ9章24節~34節

(24) そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。(25) すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです」。(26) そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。(27) 彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。(28) そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。(29) モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。(30) そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。(31) わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。(32) 生れつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。(33) もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。(34) これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。

 ある博士が小さな渡し船に乗った際に「船頭さん、君は天文学を知っているか」と尋ねた。船頭は「知らない」と答え た。彼は「それは残念だ。君は人生の三分の一を失った」と言った。更に「船頭さん、君は地質学を知っているか」と尋 ねた。船頭は「知らない」と答えた。彼は「それは残念だ。君は人生の三分の二を失った」と言った。やがて大嵐になっ て船が沈みそうになった。そこで船頭は「博士さん、あなたは泳げますか」と尋ねた。博士は「私は泳げない」と答えた 。すると船頭は「それは残念だ、あなたは人生の三分の三を失った」と切り返した。
聖書は「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカ10:42)と教えている。盲人が経験した出来事は どのようなものであったのか。
Ⅰ.画期的な出来事であった。
 盲人は「わたしは盲人であったが、今は見えるということです」と告白している。目の障害に限って言うならば、両眼 の視力の和が0.04以下であれば一級障害に該当するから、全盲はあらゆる障害の中で最も重いものと言える。従って本人 にとって開眼という出来事は、人生をひっくり返すような画期的なで出来事であったに違いない。
 パウロはかつてはキリスト教の迫害者であったが、ダマスコ途上における復活のキリストとの出会いによってその人生 が大きく転換した。彼はその経験を踏まえて「以前はやみであったが、今は主にあって光となっている」(エペソ5:8)、「 彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ」(使徒26:18)と言っている。
Ⅱ.絶対的な出来事であった。
 盲人は「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています」と告白している。 彼はまさしく「あってもなくても良いもの」ではなく、「無くてならぬもの」を獲得したのである。それは盲人にとって 相対的なものではなく、絶対的な出来事であった。それに反してパリサイ人たちは、「あの人が罪人であることは、わた したちにはわかっている」、「どんなにしてしておまえの目をあけたのか」「あの人がどこからきた者か、わたしたちは 知らぬ」と言っているように、常に相対的なものに目が向けられていたのである。つまり彼らは多くの事に関心を示すが 、肝心の事は何も分かっていな
かったのである。
 
Ⅲ.永遠的な出来事であった。
 盲人は「わたしたちはこのことを知っています。・・・神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞き入れて下さい ます」、さらに「もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」と告白している。ここでわ かる事はこの盲人は肉眼の癒しという素晴らしい神のみわざを経験したのであるが、それだけではなく、彼はその霊眼さ えもが開眼されつつあったのである。それはこの出来事が永遠的な出来事であった事を意味している。
キリスト者は、「無くてならぬものを獲得した」者である。それは画期的であり、絶対的であり、永遠的な出来事であ る。この盲人のごとく「ただ一つのことだけ知っています」と大胆に証しする者とさせて頂こうではないか。