聖 書:ヨハネ14章1節~11節
(1) 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。(2) わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。(3) そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。(4) わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。(5) トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。(6) イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。(7) もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。(8) ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。(9) イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。(10) わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。(11) わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
教会暦は待降節に始まり降誕節、受難節、復活節、聖霊降臨節、三位一体節と続いて一年を終える。聖霊降臨日の次週は三位一体祭で、その後待降節まで聖霊降臨節(三位一体節)が続く。
主イエスは弟子たちに「わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る」(ルカ24:49)、「父の約束を待っているがよい」(使徒1:4)と言って昇天された。この父の約束とは聖霊の降臨に他ならない。今日のテキストは聖霊降臨における三位一体の神の関与が示されている。
Ⅰ.父なる神の約束
十字架を前にしたイエスの言葉に動揺していた弟子たちに、主イエスは「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)と語られた。ここに父なる神について示されている。
第一に父なる神は信仰の対象である。
第二に父なる神は天国において沢山の家を所有しておられる。
第三に父なる神は助け主である聖霊を送って下さる。
「父の約束」とは、「父は別に助け主を送って」(ヨハネ14:16)、「父がわたしの名によってつかわされる聖霊」(ヨハネ14:26)、「父のみもとから来る真理の御霊」(ヨハネ15:26)などが当てはまる。
Ⅱ.子なる神のみわざ
父なる神が所有される家には誰もが無条件に迎えられるのではない。アダムとエバの罪によって閉ざされた天国の門が開かれなくてはならない。ここに子なる神の出番がある。
第一に天国における場所を用意して下さる。第二に天国に至る道(橋)となって下さる。第三に父なる神を見せて下さる。第四に祈りに応えて下さる。「キリストは私たちの罪の代価を払うために、十字架の上で死に、三日目に復活され、天国に場所を買い取り、無代価の賜物として提供して下さいました。」(「爆発する伝道」著者 J・ケネディー)。
Ⅲ.聖霊なる神の働き
聖霊は「助け主」(14:16,26、15:26)と呼ばれているが、このパラクレートスという言葉には、慰め主、弁護者、援助者などの意味がある。聖霊はまた「真理の御霊」と呼ばれ、「すべてのことを教え」(14:25)、「わたし(キリスト)についてあかし」(15:26)をし、「罪と義とさばきとについて、罪人の目を開」(16:8)き、「あらゆる真理に導」(16:13)いてくれるお方、つまり「イエスは主である」と告白するに至らせるお方なのである。
聖書の啓示する神は三位一体なる神である。神のすべてのみわざは父なる神によって計画され、子(イエス・キリスト)なる神によって実行され、聖霊なる神によって私たちにまで届けられるのである。