聖 書:ヨハネ14章1節~6節  

(1) 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさ
い。(2) わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わ
たしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くの
だから。(3) そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたが
たをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためで
ある。(4) わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。(5
)トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちには
わかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。(6) イエスは彼に言われ
た、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないで
は、父のみもとに行くことはできない。

 7世紀の初め教皇グレゴリウス一世が聖アウグティヌスを宣教師としてイングランドに派遣した頃の逸話です。イングランドのある異教徒の王が、その顧問官たちの一人に、キリスト教をどう思うかと尋ねた時に、顧問官は次のように答えました。「王様、人の生涯は饗宴場に一羽のつばめが飛び込んでくるようなものでございます。闇と寒さとの中から飛び込み、一瞬間、光と温かさとの中を通って、また再び、寒さと闇の中に出て行くのでございます。その暗黒の来世について、さらに詳しく教え得る宗教こそ、信奉して然るべきものと存じます。」
Ⅰ.人類最大の疑問
 人はどこから来て、何をして、どこへ行くのか? これは古今東西、すべての人が心に抱く疑問です。トマスもまた「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」(5)と率直にイエスに訴えています。それに対してイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(6)とお答えになりました。イエスがこの世を去ると言うことは弟子たちは薄々感じていました。イエスもまた弟子たちの不安を察知しておられました。ですから「心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)と慰め、励まされたのです。
Ⅱ.用意された天国の場所
イエスは「この世を去って父のみもとに行く」(ヨハネ13:1)ことをご存じでした。イエスには帰るべき「父の家」(2)がありました。それはまた私たちのための家でもありました。ただ残念ながらその場所は人間の罪によって汚れていましたので、そのままでは住める状態ではなかったのです。
EEⅢ(個人伝道法)では、イエス・キリストに関してキリストの人格とその事業について学びます。事業については「キリストは十字架にかけられて死に、私たちの罪の代価を支払うために、死より復活され、天国で場所を買い取り、賜物として提供して下さいました」と説明しています。最初から「父の家」がなければ、「場所を用意しに行く」(2)などとは言われる筈がありません。イエスは「わたしのおるところに迎えよう」(3)と約束して下さいました。
Ⅲ.天国に通じる道
 地震によって道路が遮断されますと山間部はすぐに陸の孤島になってしまいます。文明の伝搬には道路の整備が不可欠です。私たちの最大の課題は天国に通じる道の確保ではないでしょうか。イエスはすでにそれを成し遂げ、私たちに提供して下さっています。イエスは「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(6)と言われました。
 イエスこそ、天国に通じる真理の道、命の道、唯一の道です。心を騒がせないで、神を信じ、イエスを信じる者とさせて頂きましょう。