聖 書:ローマ 5章1節~11節
(1) このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。(2) わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。(3) それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、(4) 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。(5) そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(6) わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。(7) 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。(8) しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(9) わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。(10) もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。(11) そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
「人類は歴史において継続的に争ってきた。史料が残っている6000年以内に発生した戦争だけに限ってもその回数は15000回以上であると考えられており、またドイツ社会学者のソローキンによれば12世紀から19世紀の間の戦争は平和期間を超え、その平和期間も軍事力の整備に当てられた。第二次世界大戦が終結した1945年から1990年の間に戦争や内戦は150回以上発生している。戦争が本当に世界から無くなった日は三週間だけであったとも言われている。」(Wikipedia)
聖書は、戦争の原因は人間の思いと心のうちにある「敵意」にあると教えています。この敵意は、人類の堕落によって生じた神とサタンとの関係にまでさかのぼることができます。
Ⅰ.平和の神
聖書は「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように」(Ⅰテサロニケ5:23)、「平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう」(ローマ16:20)と教えています。また、キリストは「平和の君」(イザヤ9:6)と預言され、「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄」して下さったお方です。(エペソ2:14、15)
Ⅱ.和解の福音
聖書は「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」(10)と教えています。敵対関係にあった神と人間との関係を修復するために、神みずからが人となり、私たちの受けるべき刑罰を、キリストの身に負って下さったのです。その結果、神と人との和解が実現したのです。キリストを信じるキリスト者はだれ一人例外なく「神に対して平和を得ている」(1)のです。
第4回日本伝道会議(2000年・沖縄)の主題は「和解の福音」でした。沖縄が日本全土との関わりにおいて特別な痛みの歴史を持っていることを思い、キリスト者として、痛みの歴史を認識し、痛みを共有する聖書的・福音的なあり方を模索しました。
Ⅲ.和解の任務
聖書は「神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった」(Ⅱコリント5:18)と教えています。
今なお多くの人々は神との敵対関係にあります。神との関係修復なくして真の平和な社会を実現させることはできません。私たち自身がもっともっと神との和解を喜ぶことなくして、福音は他には伝わって行きません。
昨今、わが国では改憲問題が大きな関心事となっています。憲法9条は「戦争の放棄」を謳った誇るべき条文です。神との和解は、人と人との和解の実現、世界平和の実現を希求する聖書の大切な教えです。