聖書:申命記8章1節~3節

1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。

 口に関する諺と教訓は聖書は勿論、全世界の至る所にある。日本語にも口で始まる慣用句が沢山ある。口はおもに二つの働きをする。一つは心の入り口の働きである。口から食べ物が入るので入り口だ。食べ物と共に喜びを心に運ぶ。もう一つは心の出口の働きである。心の状態を言葉で表すので出口だ。体を維持するためには、口から何が入るかが大事だが、霊は口から何が出ているのかを見極めるのが大事だ。
1.人はみ言葉によって生きる
1)み言葉が心の中で信仰と一つになると信仰の告白と讃美が口から出て来る。永遠の命は一言の告白で得られる。「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:10)
2)心に入ってきたみ言葉が不信仰と一つのなるとあらゆる罪が口から出て来る。み言葉に従わないので滅びる。不信仰の言葉は滅びを招く。神様はイスラエルの民に約束のみ言葉を与えた。その後、神様は苦しみ、試み、飢え渇きを与えた。理由はイスラエルの民が神の命令を守るかどうかを知る為であった。残念なことに彼らの心にあるみ言葉は不信仰と一つになった。その結果、彼らの口からはあらゆる不平不満が出て来た。彼らは口から出てきた不信仰の言葉の故に荒野で滅びた。
3)私達が最近、誰とおもに話し合っているのかによって口から信仰のみ言葉が出るのか、不信仰の言葉が出るのかが決まる。信仰深い人の口からは常にみ言葉が出てくる。それ故、信仰者と話しが多くなると自分も不思議に信仰の話をするようになる。不信仰の人からはみ言葉が出て来ない。それ故、不信仰者と話が多くなると自分も不思議に不信仰の話をするようになる。私達が霊的に祝福されるためには信仰深い人々と交わることだ。
2.人はパンによって生きる
 神様はイスラエルの民を訓練するために食べ物を使った。3節の「あなたを飢えさせ」。神様はイスラエルの民に飢え渇きを通して試練を与えられた。神様が人を霊的に訓練させるために食べ物を利用したことは重要な意味がある。人は創造された時から一日何回か食べることによって体が維持されるように設計されている。食物は人間にとって絶対的な価値基準だ。人は食物を得るためにみ言葉を捨てるぐらい食物には力がある。神様はその強力な力を持っている食べ物を通してイスラエルの民を訓練した。現代の私達にも神様は同じ方法を使う。み言葉に従うことか、食物を得るためにみ言葉の教えを捨てるか?3節の「パンだけでは」。これは弱い人間への恵みと配慮の一言だ。人には実はパンもみ言葉も大事である。食べ物が与える喜びが私達を健康に導く。食物は心に喜びを与える。溢れる食べ物の前で人々は心を開く。イエス様は一人の魂が救われた喜びを盛大な食事会を通して分かち合った。
 み言葉とパンは神様の恵みの手段である。これからも感謝の心でいただきたい。