聖 書:Ⅰヨハネ4章7節~12節

(1) 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。(2) あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、(3) イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。(4) 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。(5) 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。(6) しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。(7) 愛する者ちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。(8) 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。(9) 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。(10) わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。(11) 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。(12) 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

 本日は召天者合同記念礼拝です。当教会には68名の召天会員がおられます。この方々はすでにこの世の使命を終えて、霊魂の故郷である天国にお帰りになりました。聖書は「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。」(黙示録21:3-4)と記しています。何という素
晴らしい天国における生活でしょうか。私たちも共に天国をめざして歩む者でありたく願います。
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3:11)と聖書は記しているように、すべての人には宗教心が存在しています。ただどのような神を信じるかが問題です。この世には多くの宗教が存
在しますが、これらを整理すれば,「人間を造られた神」と「人間が作った神」にまとめることができます。「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)とあるように、聖書の神は創造主の神であり、啓示の神です。
Ⅰ.愛の神=あわれみ深いおかたなので、私たちを罰することを望ん でおられません
キリスト教は啓示宗教ですが、それは自然宗教に対比して言われる言葉です。つまり人間の理性に基づくのではなく、神の恩恵によって示されたものに基づくものなのです。私たちが神を探し出すのではなく
、神のほうから私たちにご自身を現して下さるお方なのです。聖書は「神は愛である」(8)、また「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と明記しています。この愛は決して言葉だけのものでも、絵に描いた餅でもありません。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった」(10)と記されてあるように、キリストの十字架を通して私たちに神の愛を身をもって示して下さったのです。
Ⅱ.義の神=正しいおかたで、罪を罰さなければなりません。
聖書は良い知らせだけでなく、罪人は聖なる神の審判を受けるという、悪い知らせについても教えています。「罰すべき者をば決してゆるさず」(出エジプト 34:7)、「罪を犯した魂は必ず死ぬ」(エゼキエル 18:4)、「罪の支払う報酬は死である」(ローマ 6:23)とある通りです。この神の義には千分のⅠ、万分の1の不義をも許さないという程の恐ろしさが秘められています。だれがこの神の前に立つことができるでしょうか。神ご自身が相反する「愛と義」の間に立って、ジレンマに陥っておられる姿を見ることができます。どこに解決を見出すことができるのでしょうか。
愛の神は罪人を赦したいと願っておられます。しかし義の神は罪人を徹底的に裁くお方でもあります。
 つなぎの言葉=「神はこの問題をイエス・キリストによって解決なさいました。」ここに本当の救いが実現したのです。