聖 書:使徒行伝2章1節~4節

(1) 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、(2) 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。(3) また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。(4) すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。

 2000年前に聖霊が注がれて教会が誕生して以来、常に聖霊はわたしたちの上に注がれています。その日以来、今も聖霊はわたしたちの上に注がれています。
 聖霊が注がれた時に起きた中から四つの事を教えられたいと願っています。
1.人々への驚きとなった(社会に対する感化)
2章1、2節を読みますと、突然、激しい風が彼らに吹きつけるような響きが起こったとあります。この事に注目したのが周囲の一般人でした。それ程、聖霊を受けた時のこの小さな集団が周囲を圧倒する程の影響を与えたのです。
今日、願いたいことはこれほどの影響、或いは感化を教会が一般社会に与える事です。私たちが聖霊に満たされていく時、誰よりも周囲が注目してくるのです。
2.御言葉が語られた(宣教)
聖霊を受けたとき、教会は御言葉を語り出しました。ここに教会がまず第一にすべき事が示されています。彼らはキリストの十字架と復活のメッセージを伝えました。このメッセージには彼らの体験が証として語られています。同時にこのメッセージは聖霊が語っていることです。
3.悔い改めが起きた(救霊)
ペテロたちが御言葉を語ったとき、神が責任をお取りになっていることがよく分かります。何故かなら、その時人々の中に起きた事、それは37節を読みますと「人々はこれを聞いて、強く心を刺され」たとあります。
どうぞご聖霊の注ぎを受けてご奉仕が出来るように続いてお祈り下さい。
4.教会の交わりが生まれた(成長)
 最後の事は、救われた人たちを加えた新しい交わりの集団ができた事です。教会とは「エクレシヤ」(召集する、召し出された集団)の意味と「コイノニア」(交わり)の意味があります。この交わりとは第一に神との交わりですが、第二は私どもお互いの交わりです。信仰とは交わりを通しても強められて成長するものです。別け隔てのない交わりこそ教会が教会である所以です。
結論:1.人々への驚きとなった(社会に対する感化)2.御言葉が語られた(宣教)3.悔い改めが起きた(救霊)4.教会の交わりが生まれた(成長)。共に祈り求めたい。