聖 書:ヨハネ13章34節~35節

(34) わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。(35)互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

 この世を動かしている二つの力がある。一つは憎しみから出てくる破壊の力。競争、憎しみ、怒り、復讐などから破壊の力が出る。二つ目の力はイエス様の十字架から出て来る愛の力である。今日は私達の人生を変えるイエス様の愛の戒めに関して見たいと思う。
1.「わたしがあなたがたを愛したように」
1)自分のことで精一杯になった時でさえ・・
 十字架の時が迫って来る日々、イエス様はご自分のことしか考えられない時でさえ弟子達への思いやりがあった。イエス様は次の日、十字架が待っているのに弟子達を「世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」(ヨハネ13:1)。「互いに愛し合いなさい」と言う戒めは私が大変な時でさえ、「私よりもっと大変な兄弟を顧みられる心の余裕を保ちなさい」と言うことである。なぜなら「私が神様の喜ばれる仕事をすると神様が代わりに私の仕事をなさって下さる」からである。
2)私があなたがたを赦したように
 イエス様は弟子達に三年間全てを教え、全ての奇跡を見せ、心から彼らを愛した。なのに弟子達は主を失望させることが多かった。その弟子達を主は何回も赦した。そして、新しいチャンスを与えた。私達の人生の中でもイエス様のような経験をするかも知れない。裏切られることさえ経験するかも知れない。その人でさえ「私がしたようにあなたがたも互いに赦しなさい」が今日の戒めである。

2.「あなたがたも互に愛し合いなさい」

1)愛しなさい
 人はいつも何かを愛しながら生きる。誰かを愛するか、或いは何かを愛する。二つの中で一つを愛する。誰でも自分の心を分かち合うところが一つはある。誰かを愛することは神様か、人を愛することを意味する。何かを愛することは人格を持っていない全ての物を愛することを意味する。趣味などがそれである。神と人には無関心で趣味ばかりに愛着してはいけない。愛は努力だと思う。愛は自然に私の心から出てくるのではなくて、努力する時、神様が愛の心を与えて下さる。
2)互いの違いを認める(性格、価値観、成長背景など)
 十二弟子達は互いに三年間イエス様と共に行動したが、彼らは職業も全然違う(漁師、税金取り、独立運動家)。性格、人生の目標、価値観も違う。私達も同じだ。価値観、人生の目標、賜物、性格、職業、全部違う。違うことがほとんどである。幾つかだけが同じである。①主を信じる同じ信仰を持っている。②神様がしばらく同じ教会に集めて下さったこと。この関係は私達が選択したものではない。神様が結んで下さった関係だから大事にしたい。この二つは私達の違いを乗り越える大きな共通するものである。
3)「迷惑をかけるな」を越え「互いに愛し合いなさい」へ 
日本の最高の倫理基準は「迷惑をかけるな」ではないかと思う。しかし、クリスチャンはこれよりもっと高い倫理基準を持たなくてはならない。それが「互いに愛し合いなさい」である。
 今日の人々は心が石のように堅くなっている。心筋梗塞も恐いが、心の梗塞はもっと恐い。イエス様を愛することは人を思いやる心を持つことである。私達はこれからも互いに愛し合いたい。