聖 書:黙示録14章1節~5節

(1)なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。(2) またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。(3) 彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。(4) 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。(5) 彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。

アメリカ野球殿堂入りしたエカーズリー氏は「人生でもっとも感激した瞬間だ。信じられない」と感想を述べています。選ばれることは大きな喜びです。しかしそれ以上にすばらしいことは神に選ばれることです。
 ここに選ばれた十四万四千人のことが記されています。この数字の解釈には、「真のエクレシア、文字通りイスラエル民族、イスラエルの残れる民、エホバの証人」などがあって、終末論を混乱させている要因の一つとなっています。果たして聖書はこのことについて何と教えているのでしょうか。
Ⅰ.あがなわれた者の本質 (1)
 ヨハネはまず「小羊がシオンの山に立っていた」のを見ました。そこには「十四万四千人の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた」のです。この人々について聖書は「彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である」(4b)と記されています。「贖い」とは、捕らわれた状態、奴隷、罪から自由にすることを意味しています。本来自分の所有であった者(物)が、何らかの理由で第三者の手に移った場合、相当の代価(身代金)を払って、もう一度自分の手に買い戻す行為を意味しています。イザヤは「わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」(43:1)、パウロは「主は自分の者たちを知る」(Ⅱテモテ2:19)と言っています。
 贖われた者とはキリストの所有とされた者を指しているのです。
Ⅱ.あがなわれた者の任務 (2~3)
 次にヨハネは「大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた」のです。その声は、「琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった」のです。あがなわれた人々は「御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った」のです。詩篇には「新しい歌を主にむかってうたえ」(33:3,40:3,96:1)とあります。新しい歌とはキリストの贖いによって新しく生まれ変わった者のみが歌える賛美の歌、感謝の歌、喜びの歌、希望の歌なのでしょう。神を誉めたたえることが最高の任務なのです。
Ⅲ.あがなわれた者の品性 (4~5)
 次に彼らの品性や信仰について記されています。彼らは「女にふれたことがない者、純潔な者」であり、「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」従順な人たちです。「彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった」のです。何というすばらしい人たちでしょう。私たちも主にあがなわれた者の仲間です。地上における歩みにはいろいろな困難がつきまといますが、あがなわれた者に相応しい日々を歩ませていただきましょう。
 
 神に選ばれた者としての確信と忍耐をもって、終末時代を力強く勝ち抜く者とさせていただきましょう。