ケズィック聖会説教要旨(‘09.2.28午後・淀橋)
説教題:「イエスにとって大切な場所」 R.エイメス師
聖 書:マルコ1章21節~39節 通訳:斎藤善樹師
(21)それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。(22)人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。(23)ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、(24)「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。(25)イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。(26)すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。(27)人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。(28)こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。(29)それから会堂を出るとすぐ、ヤコブとヨハネとを連れて、シモンとアンデレとの家にはいって行かれた。(30)ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床についていたので、人々はさっそく、そのことをイエスに知らせた。(31)イエスは近寄り、その手をとって起されると、熱が引き、女は彼らをもてなした。(32)夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。(33)こうして、町中の者が戸口に集まった。(34)イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。(35)朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(36)すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。(37)そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。(38)イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。(39)そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。
神の子であるイエス・キリストの生涯は33年半でした。本日の聖書の箇所において私たちはイエス・キリストが丸一日をどのように過ごされかたを知ることができます。それは朝、昼、午後、夕方、そして夜の出来事について記されています。
Ⅰ.安息日の朝のイエス
1.礼拝をささげる場所 (1:21-22)
聖書は「そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた」と記しています。会堂は田舎の小さな教会のようなものでした。その地域の人々が集まり、礼拝を捧げ、人々と楽しく交わる所でした。神であるイエスが会堂に入って礼拝を捧げられると言うことは非常に不思議な光景です。イエスにとって会堂は父なる神と一つになる場所でありました。
2.教えの場所 (1:21-22)
イエスは会堂で何を話され、教えられたのでしょうか。聖書は「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(ルカ4:18~19)と記しています。
3.霊的な戦いの場所(1:23-25)
会堂において予期せぬ出来事が起こりました。けがれた霊につかれた人がイエスの働きに抵抗してきたのです。現代の教会においても起こりうる出来事です。イエスはこの人を叱って「黙れ、この人から出て行け」と言われました。するとけがれた霊は彼から出ていったのです。私たちも聖霊の力によって勝利を収めなくてはなりません。
Ⅱ.午後のイエス (29-31)
イエスは午後になって、シモンの家に入られました。そこにはシモンのしゅとめが熱病で床についていました。イエスは彼女の病を癒されました。どなたの家庭にも陰の部分があります。家族のこと、経済のこと、仕事のこと、教育のことなどいろいろなことがあります。イエスはそれぞれの家の客となって下さり、私たちの問題を解決してくださいます。
Ⅲ.夕方のイエス (32-34)
安息日は日没から始まります。人々は大勢の病人や悪霊につかれた人々をイエスのもとに連れてきました。イエスは「人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された」のです。私たちは信仰的な事柄と社会的な事柄の双方に関心を示すと共に、イエスの教えに従う必要があります。
Ⅳ.夜(朝早く)のイエス (35-39)
「イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」のです。イエスは父なる神と交わるために祈られたのです。イエスでさえもそうであったとすれば私たちにとっては尚更のことではないでしょうか。
羊は羊飼いの所にいつもいます。羊飼いもまた羊と共にいます。私たちは忙しい毎日を送っていますが、お互いの本来の居場所を見失ってはいないでしょうか。今一度おるべき場所に戻らせて頂きましょう。