聖 書:マタイ6:33

6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

 
 今年は日本宣教15O周年の年である。神に感謝を捧げ、日本の教会にお祝いを申し上げる。15O周年を期し、日本の教会がアジアと全世界の宣教の旗手となる、大きな飛躍的発展があることを期待し、祈るものである。15O周年をとはいえこれからは何がより必要であろうか?ということを考えてみるのも大切であると同時に日本の教会と韓国の教会が、今まで歩んできた信仰と生活を再検討することも重要であると認識するのである。この時間は、牧会と信仰生活において、「先と後」を明確に確認する時間となればと思う。イ工ス様がこの時点で、日本の教会、韓国の教会に向って、(マタイ6:33)「何よりもまず(先)、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば(後)、これらのものはみな加えて与えられる」と語られた。
Ⅰ.先ず特別恩恵、後―般(普遍)恩恵
1.特別恩恵「神の国と神の義」
 直接に神と関係する霊的恩恵である。悔い改め、信仰、罪の赦し、救い、聖霊充満、新生、謙遜、敬虔、節制のような恩恵である。もちろん、神が代価なしに与えてくださるのであるが、この特別恩恵は誰にでも皆与えられるのではない。救いを得る人、神に用いられる人にのみ与えられる。
2.―般(普遍)恩恵「これらのものはみな」
食ベるもの、飲むもの、着るもの、…拡大すれば、太陽、空気、水、生命、健康、家族、良心、知能、才能、物質のような恩恵である。この恩恵は誰にでも与えられるものである。
 3.必須条件と付随条件
人には特別恩恵と一般恩恵、両方が必要である。しかし特別恩恵は必須条件であり、一般恩恵は付随条件である。
Ⅱ.先ず聖霊、後牧会
牧会の3要素は聖霊、教会、み言葉である。この三つがばらばらであるなら教会ではなくなる。この三つが共にあるとき教会が形成される。その中で聖霊が先である。聖霊は主観的な要素である。教会とみ言葉は客観的な要素である。
1.牧会者の霊性の変化がある。聖霊充満は罪により死んだ霊が赦され、救われ真の生に変えられる。いつも神様と共に歩む生活がなされてゆく。以前と完全に違う世界の体験の中で生きるであろう。やがて敬虔な生活となろう。
2.牧会者の人格変化がおきる。
①知性が聖霊感化により変えられ、聖書理解を始め人生観、価値観、世界観、宇宙観がみな神様の救贖史的な見解として変えられていく。
②感性が聖霊のうちに義と平和、そして喜びに変えられる(ローマ14;17)。
③意志が神様のみ心を実践する勇気と決断カをもつようになり、能力ある生活となる。
Ⅲ.先ず祈祷、後宣教
 牧会の経験によるならば牧会の疲れは祈りの不足からである。教会が成長し、牧会的なことが多くなり人と多く会うようになればなるほど牧会者自身の祈祷時間が少なくなる。そうなると霊力の向上が停止してしまう。外面的にはかなり多くのことをするかのようだが、内面には疲れを感じるようになる。祈祷は牧会者の霊的呼吸である。
①生命であるということだ。②実行しなければならない、ということである。
③深いほど有益である。④継続しなければならない。⑤正常なものでければならない。伝道と宣教においても祈った分だけ実が結ばれる。