聖 書:マルコ16:9~20

(9) 〔週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。(10) マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。(11) 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。(12) この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。(13) このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。(14) その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。(15) そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(16) 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。(17) 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、(18) へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。(19) 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。(20) 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕

 本日は荻窪栄光教会創立52周年記念礼拝であり、イエス・キリストが復活された日でもあります。二重の喜びで御同慶に堪えません。創立53年目を迎えた今年は「新しい宣教の時代を迎えて」-共に祈り、共に伝道し、共に希望に生きる-という標語を掲げて共に励んで参りたいと願っております。
本日のテキストはすべての福音書が取り扱っているキリストの復活の記事です。本年は「伝道の年」ですので、特に「伝道」に焦点を合わせて考えて見ることに致します。
Ⅰ.復活のキリストとの出会い(9~13)
 私たちの人生には「生・病・老・死」という四大苦が常につきまといます。中でも愛する人との別れほど悲しいものはないでしょう。こうした苦難に打ち勝つ秘訣は、罪と死に打ち勝って復活されたキリストの中に見出すことが出来ます。キリストは安息日が明けた日に復活されました。最初に復活のキリストに出会ったのはマグダラのマリヤでした。その後マリヤは「イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた」(10)のですが、「彼らは・・・聞いたが、信じなかった」(11)のです。エマオ途上の弟子たちも復活のキリストに出会いました。しかし「このふたりも・・・話したが、彼らは・・・信じなかった」(13)のです。「イエス・キリストを信じる」と言うことは、復活されたキリストが私と共に今も生きておられることを意味しているのです。マリヤが弟子たちに知らせたように私たちもこの事実を人々に知らせるのです。それが伝道なのです。
Ⅱ.イエス・キリストの命令(14~18)
マグダラのマリヤなどの証言を信じなかった弟子たちにイエスは復活体を現されました。そして「彼らの不信仰と、心のかたくななのをお責めになった」(14)のです。そして「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる」(15-16)と命令されました。また「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」(17-18)と約束されました。こうした奇跡は使徒パウロによって実際に行われました。こうした奇跡は否定すべきものではなく、現代においても実現可能なものであると信じることは大切なことです。ただそれらは二義的なものであって、最大の奇跡はキリストを信じて救われ、永遠の命に与ることであることを見失ってはなりません。
Ⅲ.弟子たちによる伝道(19~20)
復活のキリストに出会った「弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた」(20)のです。その結果、福音は世界を西回りに回って、カトリックは1549年、プロテスタントは1859年にわが国にまで届けられたのです。パウロは「宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか」(ローマ10:14)と述べています。あなたを通してでしか聞くことの機会のない人がおられるのではないでしょうか。
 
 今年は「伝道の年」です。キリストに出会ったお互いは、この身をもって福音を伝える者とさせて頂きましょう。