聖 書:ヨハネ4:1~30,39~42

(1)イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、(2)(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)(3)ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。(4)しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。(5)そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、(6)そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。(7)ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。(8)弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。(9)すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。(10)イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。(11)女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。(12)あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。(13)イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。(14)しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。(15)女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。(16)イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。(17)女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。(18)あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。(19)女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。(20)わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。(21)イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。(22)あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。(23)しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。(24)神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。(25)女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。(26)イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
(27)そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。(28)この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、(29)「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。(30)人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。
(39)さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。(40)そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。(41)そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。(42)彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

 人間の体には約37Lの水分が含まれていると言われます。これは相当な分量です。この数字はいかに人間(生き物)にとって水分が必要であるかを示しています。医者に行きますと、必ず「よく水分を摂ってください」と言われます。医学的な意味は十分理解できませんが、朝起きてコップ一杯の水を飲みますと、枯れかかった鉢植えの花に水を注ぐと生気を取り戻すように、私の体の隅々に水が行きわって行く様子がよく分かります。改めて私の体には水が必要であり、水で生かされていることが良く理解できます。
 今日のテキストには「水」、「生ける水」、「永遠の命に至る水」と言う言葉がよく出てきます。ここで言われている水は、勿論生活用水を意味している場合もありますが、それ以上に聖霊の象徴としての水を意味しているのです。聖霊降臨日の本日、共に聖霊に満たされた者にして頂きたいものです。
Ⅰ.イエスとサマリヤの女との出会い (1~6)
 イエスは「ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった」(3-4)と記されています。これは非常に不思議な言葉です。地理上からすればその道は最短距離でしたが、通常ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲でしたので、その道を避けたのです。にもかかわらずイエスはわざわざその道を選ばれたのでした。その理由は種々考えられますが、そこに飢え渇いている一人の女性が存在し、その女性を救おうとするイエスの愛がそうさせたのである、と理解するのが妥当なように思われます。
 私たちの場合も同じことが言えます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」(ヨハネ15:16)。誰よりも先に私たちの存在を知り、その必要をご存じの神は、いつでも私たちよりも先に行動を起こして下さるのです。ここに〈先行する神の恩寵〉があります。
Ⅱ.イエスとサマリヤの女との会話 (7~26)
 ここにイエスとサマリヤ女との間に交わされた6回の会話が記されています。
 ①イエスの懇願と女の応答 (7-9)、②イエスの本質と女の疑問 (10-12)
 ③イエスの提案と女の受容 (13-15)、④イエスの命令と女の返答 (16-17a)
 ⑤イエスの理解と女の反応 (17b-20)、⑥イエスの宣言と女の信仰 (21-25)
Ⅲ.サマリヤの女の救いと証言 (27~30, 39~42)
 ここにサマリヤの女の救いと証言が記されています。7回にも及ぶイエスと女との会話を通して、イエスがいかに女の無関心、物質主義、道徳的腐敗、宗教的偏見などを忍耐をもって克服され、真の信仰へと導かれたかがつぶさに記されています。その結果、彼女のイエスに対する理解が次第に深まって行きました。最初はただの旅人に過ぎなかった彼女にとってのイエスが、①ヤコブよりも偉い方、②預言者、③メシア、④キリスト、と言うように深化していきました。さらに、彼女は「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい」(29)と積極的にイエスを証言しました。その結果、人々は「女の言葉によって、イエスを信じた」(39)のでした。
サマリヤの女は人生に大きな飢え渇きを覚えていました。しかしイエスと出会うことによって、この世の水ではなく、「永遠の命に至る水」を得ることができたのです。主は今日もすべての人が救われることを願っておられるのです。