聖 書:ヨハネ13:21~30、36~38

(21)イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。(22)弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。(23)弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。(24)そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。(25)その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、(26)イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。(27)この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。(28)席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。(29)ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
(30)ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
(36)シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。(37)ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。(38)イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。

 〈裏切りとは、約束や同盟関係を捨て相手に寝返る等の行為や、想像とは違った、もしくは期待はずれな事象に対し用いられる言葉〉です。裏切り者と言えばイスカリオテのユダが有名ですが、歴史的には「ブルータス、お前もか」という言葉をジュリアス・シーザーに吐かせたマルクス・ユニウス・ブルトゥス、関ヶ原合戦において西軍を裏切って東軍に勝利をもたらした小早川秀秋などがあげられます。
Ⅰ.裏切りの要素
 イエスは「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」(21)と話されました。弟子たちはイエスの言葉を聞いて狼狽し、混乱しました。ペテロはヨハネに「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」(24)と合図をします。マタイは弟子たちが次々に「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出したことを記しています。すでに祭司長に銀貨30枚でイエスを引き渡そうとしていたユダは「先生、まさか、わたしではないでしょう」と白々しく言っています。ペテロさえも人々から「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」と問われた時、「いや、そうではない」と否定しました(18:17)。多くの弟子たちはイエスから逃げ去りました。ですからイエスを裏切ったのはユダだけではなく、弟子たちも同罪であったと言えるのです。私たちもイエスの想像とは違った、期待はずれの者であるとするならば、裏切り者と呼ばれても仕方がありません。裏切りの要素は誰もが持ち合わせているのです。
Ⅱ.ユダの裏切りの要因
 ヨハネは「主よ、だれのことですか」(25)と尋ねると「『わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである』。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった」(26)のです。ここに至るまでにユダは「悪魔」(6:70)、「盗人」(12:6)と呼ばれ、「イエスを裏切ろうとしてた」(6:71)、「悪魔は…ユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」(13:2)のです。そしてついに「サタンがユダにはいった」(27)のです。裏切りにはそれなりの要因があります。ユダは会計係でしたから、それだけに金銭的な誘惑も人一倍大きかったと思われます。ユダは「財布を預かっていて、その中身をごまかしていた」(12:6)と指摘されています。つまりお金に対する執着心が強く、お金に汚かったのです。そして祭司長たちと、イエスを銀貨30枚で引き渡す取引をしてしまったのです。
Ⅲ.裏切りの元凶とその結果
 ユダは「一きれの食物を受けると、すぐに出て行った」(30)のです。ユダは確かに裏切り者ですが、彼はサタンに支配されていましたので、裏切りの元凶はサタンであったことを私たちは見抜かなくてはなりません。その後イエスはゲッセマネの園でユダの手引きによって捕縛され、ゴルゴダの丘へと向かわれたのです。ユダは「イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨30枚を祭司長、長老たちに返して…『わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました』」(マタイ27:3-4)と懺悔しました。しかし受け取って貰えなかったので、「銀貨を聖所に投げ込んで…首をつって死んだ」(27:5)のです。何ともやりきれない結末です。もう一歩、イエスを信じる所まで進むならば救われたのですが残念でたまりません。 
 ユダの裏切りがなくてもイエスは十字架にかかられたのです。それは神の当初からの計画だったからです。ユダはその役割を担ったとも言えます。私たちにもユダのような弱さがあることを謙虚に認めて、主にお従いする者となりましょう。