聖 書:マタイ16:21~28

(21) この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。(22) すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。(23) イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。(24) それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。(25) 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。(26)たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。(27) 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。(28) よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

 当教会は1958年4月に東京教会として創立されました。本日創立満53周年記念礼拝を迎えました。1960年4月に現在地(中田羽後師の居宅跡)に移り、荻窪栄光教会と改称しました。1966年12月には現在の教会堂が献堂されました。当教会には最初から森山諭師によって5つの使命が提唱されました。それは、①日本伝道隊の霊的遺産の浸透、②上京者の受け皿と福音の地方還元、③地域社会への宣教、④教会音楽の向上、⑤超教派運動への協力です。この使命は今日に至るまで教会員一同によって継承されてきました。わが国は目下未曾有の大地震、津波、原発事故という患難に遭遇し、国家的危機とも言うべき状況下にあります。私たちは創立満53周年を迎えた今日、被災者の救援、被災地の復興、その他余りにも大きな問題の解決のために祈り、協力すると共に、本来キリスト者に与えられた福音宣教と教会建設の遂行のために前進して行かなくてはなりません。使命は特権であると共に重荷とも感じる時があります。聖書はその重荷は祝福と関連していることを教えています。
Ⅰ.十字架を負われるキリスト (21~23) 
ペテロは「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(16)と素晴らしい信仰を告白しました。イエスは「この時から」(21)「多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」(21)のです。するとペテロは「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と、いさめたのです。その後イエスは「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(23)と、びっくりするような言葉を語られました。イエスの最大の任務は十字架を負われることでした。そのことによってイエスは復活され、サタンに勝利されたのです。私たちは人生において様々な試練や困難に遭遇します。こうした試練に耐え抜くことによって真の喜びや生き甲斐を見出すことができるのです。
Ⅱ.自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 (24~25)
イエスは「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(24)と言われました。「十字架」は喜ばしいものではなく、避けたいものです。しかし私たちの人生には否応なしに負わなくてはならない病気、障害、怪我、災害、負債等々と言った「十字架」(負の遺産)があります。ですから私たちは健康、地位、名誉、財産等々と言った(正の遺産)を求めやすいのです。聖書はそれが「自分(我)」であると教えています。私たちは「捨てるべきもの」と、「負うべきもの」が何であるかをしっかりと見極めなくてはなりません。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだす」(25)のです。
Ⅲ.自分の命を損したら何の得になろうか。 (26~28)
 ここに「全世界」と「自分の命」とが対比されています。この「命」とは、この世の命ではなく、永遠の命のことです。聖書は私たちの命は朽ちるものではなく、永遠に生きるものであると教えています。そもそも「自分の命」は「全世界」と対比することができないものです。にもかかわらず、多くの人々は「全世界」以下の価値しかない、僅かな(正の遺産)を得るために、尊い「自分の命」をないがしろにしているのです。私たちは〈原発は安全〉という神話が壊れた今こそ、真に人間らしい生活に立ち戻るべきではないでしょうか。その原点が聖書にあるのです。
 この度の大震災の影響の範囲は到底推し量ることができません。先行き不透明な時であればこそ、真の神を信じる信仰に堅く立って歩む者とさせて頂きましょう。