聖 書:ヨハネ14:1~11

(1)イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、(2) (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)(3) ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。(4) しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。(5) そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、(6) そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。(7) ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。(8) 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。(9) すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。(10)イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。(11) 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。

 「すべての道はローマに通ず」と言われますが、それは国家の繁栄を表す指標としての意味をもっていました。確かに「道」は私たちの生活に必要なものです。この度の大災害においても、破壊された道路の迅速な復旧こそが、人命救助や救援物資搬入などの大きな決め手となりました。「道」は単に人馬が往来する意味だけではなく、宗教的、哲学的〈真理・悟り・修行・倫理道徳〉な意味も持っています。
イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。バックストンは「道がありませんならば旅行することが出来ません。真がありませんならばいづれの道が正しきかを知ることが出来ません。命がありませんならば旅行することが出来ません。この三つは父に行くものの為に大切です」と教えています。
Ⅰ.天国に至る道であるキリスト(1~3)
 イエス様は、寂しい思いをしている弟子たちに「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)と語られました。この言葉によってどれほど多くの人々が励まされ、慰められたことでしょうか。この言葉は単なる気休めの言葉ではありません。現世と天国とを結ぶためにイエス様は私たちのために場所を用意しに天国に行かれ、またきて私たちを迎えて下さいます。それは再臨のことではなく、聖霊の内住を意味しています。神であり、人であられたイエス様であればこそ、為しえたみわざでした。イエス様が「わたしは道である」と言われたのは、イエス様こそが天国に至る道であるからに他なりません。
 わが国は沢山の島々から成り立っています。有人島だけでも436もあります。因みにベスト5は沖縄島、佐渡島、奄美大島、対馬、淡路島です。明石大橋や瀬戸大橋の完成で往来が便利になりました。
Ⅱ.真理の道であるキリスト(4~6)
 イエス様は弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」(4)と言われました。するとトマスは「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」(5)と答えました。トマスには分からない二つのことがありました。それは目的地とそこに至る方法でした。それに対してイエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(6)と答えられたのです。道にも色々な道があります。国道や県道や市町村道、広い道や狭い道、真っ直ぐな道や曲がった道、舗装された道や砂利道、平坦な道やでこぼこ道も、目的地に通じる道や行き止まりの道もあります。安全で、目的地に通じ、そして唯一であること、これらのことが真理の道と呼ばれるにふさわしい道なのです。
Ⅲ.命の道であるキリスト(7~11)
 ピリポは「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」(8)と伝えました。ピリポにはイエス様の力の出所が分かっていなかったのです。そこでイエス様は「わたしを見た者は、父を見たのである」(9)と答えられ、「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい」(11)と勧められました。ここに聖書における三位一体の教えの神髄があります。人となられたイエス・キリストこそが父なる神であり、そこに真の命が存在するのです。 
 バックストンは「汽車が道を外れて機関車を損ねた時に第一に為すべきことは汽車を軌道に戻すこと、第二に損じた機械を修繕すること、第三は火を燃やすこと」と教えています。天国に至る道であるイエス・キリストを信じて、真理と命に満ちた人生を歩ませて頂きましょう。