聖 書:エペソ 3:8~13

(8) すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、(9) 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。(10) それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、(11) わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。(12) この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。(13) だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。

エペソ3章の前半はパウロの個人証言なので1、2章よりは分かりやすいですが、それでも難しいです。なぜなら、彼の長い人生を短い文章で縮約しているからです。単語一つ一つがパウロの信仰告白です。パウロの証言を見ると「証言」というものは人間の弱さと神様のご栄光を同時に現すものではないかと思います。パウロの証言を通していくつか学びたいです。
1.証言者の姿勢:謙遜
 「最も小さい者」、「月足らずに生れたようなわたし」、「使徒たちの中でいちばん小さい者、使徒と呼ばれる値うちのない者」、「罪人のかしら」。これらの表現はパウロが彼自身に付けたものです。彼の謙遜を表す表現です。パウロの謙遜は演技ではありません。彼の謙遜は人格のレベルではなくて、信仰の告白です。生涯の告白です。この世の謙遜は人間の品性、人格の側面で考えますが、基督教の謙遜は信仰の側面です。私達は謙遜というものを人格の面ではなくて、信仰の面で強調しなければなりません。謙遜は信仰告白から出てきます。神との関係が深くなって、人間の弱さを切実に感じるとき、自然に謙遜になります。また、神の御心を悟ると自然に謙遜になります。信仰による謙遜で生きたいです。
2.証言の内容:神の奥義と永遠の目的(未来)を語る 
パウロは現在監獄に監禁されています。パウロが監禁されたことを聞いて、人々の反応がそれぞれ違いました。信仰のない人は「彼は昔悪いことをしたから神に罰せられている」と解釈する人もいました。信者は「彼は大事な働き人なのにどうして監禁されて伝道できなくなったのか」と心配しました。しかし、彼は誰よりも監禁されている理由に関して正しい見解を持っていました。彼が監禁されている理由は、異邦人に宣べ伝える為、明らかに示すため、神の多種多様な知恵を知るに至るため、神の永遠の目的を完成するためです。これらのことは全部未来の事です。彼は現在の試練と悲しみを過去の罪による罰として受け止めるのではなくて、未来の素晴らしい主のご計画として受け止めました。現在の試練と悲しみの受け止め方は二つあります。一つは過去の過ちによる報いか、罰として受け止める人がいます。過去を中心にして現在を解釈するやりかたです。この人々の特徴はイエス様の十字架による赦しを経験してないことです。もう一つは、現在の試練を未来への神の不思議なご計画として受け止める人がいます。未来を中心にして現在を解釈するやりかたです。彼らの特徴はイエス様の十字架による罪の赦しを経験して、また、神からの使命があることが特徴です。イエス様の十字架の赦しを経験した人は過去の罪に縛られるよりは未来への神の素晴らしいご計画を見いだします。パウロは過去の罪に縛られるのではなく、未来への神様のご計画を悟るために頑張りました。
3.証言の効果:聴衆、時代によって違う
 証言というのは同じものでも、聞いている人々によって違います。時代によって、タイミングによって効果がある時もあれば、余り効果がない時もありそうです。エペソ書にあるパウロの証言はエペソ教会に効果ある適切なものでした。異邦人であるエペソ教会員の為にパウロは監禁されていました。パウロの患難が、エペソ教会員の光栄になりました。エペソ教会員への素晴らしい証言でした。証の種類には色々ございます。それでは、今の時代において一番人々の心に響く証は何でしょうか?今の時代においては同じ試練に出会った人々の証言こそ、効果があります。イエス様の試練は私達に大きな励みになります。イエス様の33年間の証言は響きがあります。イエス様は33年間傷だらけの時間を過ごしました。ですからイエス様の傷跡はどんな人でも癒すことが出来ます。言葉だけではなくて、心から慰めて下さいます。私達は皆今まで試練を乗り越えて来ました。今も試練の直中にいます。ですから、私達も良き証人になります。