聖 書:ヨハネ14:25~31
(25) これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。(26) しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。(27) わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(28) 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。(29) 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。(30) わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。(31) しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。
宮本武蔵と言えば剣豪というイメージが強いのですが、〈五輪の書〉や〈古木鳴鵙図〉(コボクメイゲキズ)と言った書物や水墨画などに接しますと、剣豪とは全く異なった人物像が浮かんできます。古木鳴鵙図とは、〈古木で鵙(モズ)が鳴いている図〉という意味です。よく見ますと枝の下方には芋虫のような虫がいます。鵙はこの虫を狙っているのかも知れません。ある意味で剣豪らしい緊張した状況を描いたようにも思えますし、その反面、厳しい状況にも関わらず、それを意に介しない、平然とした鵙の姿の中に安らぎを感じる絵であるとも思えます。
Ⅰ.キリストの平安の性質 (27~)
一般的な日本人は「家内安全、無病息災」、健康で安らかな日々の生活を願っています。その安らぎは争いや問題を回避することであり、物質的な豊かさを基盤にしたものです。イエスの遺産としての平安はどのようなものでしょうか。
1.問題を回避するのではなく、克服する平安
イエスは「わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」(27)と言われました。それは争いや問題を回避するものではなく、人の罪や死や悲しみという根本的な問題を克服する平安、外的環境に左右されない平安であると言えます。
2.一時的なものではなく、永続的な平安
イエスは「わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう」(28)と言われました。キリストの平安はこの世限りのものではなく、天国に通じる永続的な平安であります。
3.不完全なものではなく、完全な平安
イエスは「彼(サタン)はわたしに対して、何の力もない」(30)と言われました。この世にあっては私たちはサタンと戦わなくてはなりません。しかしその戦いは敗北の戦いではなく、完全な勝利の戦いなのです。
Ⅱ.キリストの平安の秘訣
1.イエスは父を信じておられた。(29)
2.イエスは父を愛しておられた。(31)
3.イエスは父に従われた。(31)
上記の3点は私たちがキリストの平安に与る秘訣でもあります。聖書は「ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」(ピリピ4:6)と勧めています。
Ⅲ.キリストの平安の恵み
1.神の平安があなたがたの心と思いを守って下さる。(ピリピ4:7)
2.世に勝つことができる。(ヨハネ16:33)
3.信仰の基準を得ることができる。(コロサイ3:15)
4.主の臨在を覚えることができる。(マタイ14:27、ヨハネ20:19)
5.この世に派遣される。(ヨハネ20:21)
本日のテキストは「真理の御霊」に関する一連の話の一コマです。ここで大切なことは「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」(26)という言葉です。助け主である聖霊のお導きによって、私たちに与えられているキリストの遺産を忘れることなく、日々の生活の中で思い起こす者とならせて頂きましょう。