聖 書:創世記3:6~19

6:女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
7:すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
8:彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
9:主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
10:彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
11:神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
12:人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
13:そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
14:主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。
15:わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
16:つぎに女に言われた、/「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、/彼はあなたを治めるであろう」。
17:更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
18:地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。
19:あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

金 言 
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。(ローマ6:23)
 人は得てして「これだけはやってはいけない」と厳命されると、禁を犯す欲望とスリルを満足させるために、かえって「やってみたい」思いを制することが出来なくなります。エバも同様に神様からは「園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。」(16節)と神様の語りかけを捨てて、へびの巧妙な誘いに乗って、これさえ食べれば私も神のようになれると考えた傲慢さのゆえに、ついに神様が禁じた唯一つの善悪を知る木から取って食べてしまいました。エバはアダムにも与えたところ、彼は神様のことばを忘れたかのように自分の欲望に従い食べました。
目が開け
 アダムとエバはそれまではお互いが裸であることが恥ずかしいとは思わずのびやかに暮らしていました。善悪を知る木から取って食べた結果はどうであったか、蛇の言う「神のように…なる」(5節)どころか、二人は自分たちがいかに惨めで賤しく、神様の恵みを忘れ去る忘恩な者、唯一つの愛の忠告を守ることができない背信な人間かを知ることになったのです。その結果自分たちが裸であることを意識しました。そこで手短に得られた葉で自分たちが罪によって露にされた醜態を覆い隠そうとしました。この姿を憐れむ救い主キリストは「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。(ヨハネ9:41)と言われました。
神の顔を避けて
 夕暮れの涼しい風が吹く頃です。神様は「あなたはどこにいるのか」と人に近づいてこられます。たった一匹の迷った羊を捜し求める羊飼いの譬えを思い起こさせます(ルカ15:4~7)それなのに人は神の顔を避けて木の間に身を隠してしまいます。罪を恐れて隠蔽しようと図る人間の浅ましさを思います。しかし神様は人間が隠れても、逃げても「あなたはどこにいるのか」み声をからしてでも呼び続けます。「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ19:10)アダムは禁断の実を食べたことの言い訳を「あの女」(12節)のせいですと責任転嫁をして、かつてはふさわしい助け手として喜んだ妻を憎みます。さらに「わたしと一緒にしてくださった」(12節)と罪の原因が神様にあるように言います。エバも自分の罪をへびのせいですと抗弁をして、罪の告白の謙虚さは見られません。
土に帰る
 神様はへびに地を這って歩くよう言われました。しかし神様は罪を犯したエバをサタンに渡さず神様はみもとに守られました。(15節)ここに福音の始まり<原福音プロトエバンゲリオン>があります。エバには「生みの苦しみ」と「夫への服従」が嫁せられました。アダムには「労働が苦しみ」に変わります。そして人は苦労がやむとき休息が来るのです。無論死は懲罰です。(ローマ6:23)一方で休息という面があります。「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」。…彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」(黙示14:13)