聖 書: エペソ4章14~16節
(14) こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
(15) 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
(16) また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。
前回は4章7-16節を通して「賜物の多様と愛の一致」に関して見ましたが、今日は後半の14-16節だけ深く考えてみたいと思いました。その理由は、14-16節は前回ほとんどしなかったことと、もう一つは過去何年間(2006-2009年)、14-16節を教会の年間聖言として黙想してきた箇所だからです。今日は特に、「組み合わされ結び合わされ」を中心に考えましょう。
1.建築、体の用語
パウロが教会、或いは教会員との関係を説明するために使っている用語には人間の体、建物、植物、人間関係等がございます。例えば、Iコリント12章は人間の手と足、耳と目等の例えを用いてコリント教会が一つであり続けるようにと促しました。エペソ書では教会を説明するために、建物や人間の体、それに加えて人間関係の言葉も沢山使いました。2章と4章には建物を想像させる言葉が多いです。4章16節は建物と体と関係ある単語が多くあります。教会という抽象的になりやすい集団を身近な言葉である体や建物、人間関係等の言葉を通して分かりやすく説明しました。
2.組み合わされ結び合わされることの意味
(1) 材料が一つのところに集る
私達は建築材料のような者です。未信者の家庭で生まれて、未信者が多い社会で生まれて、教会の主であるイエス様の血潮によって贖われ、各地方から集められて、教会の一人の部分として組み合わされ結び合わされ、これからしばらくの時間を共に過ごします。
(2) 一つ一つの材料だけでは価値がありません
私達は同じ神様の教会で組み合わされ結び合わされている時は、一人一人の価値も生かされます。しかし、心がバラバラになって離れていると、いくら賜物があって、いくら素晴らしい能力を持っていても、それは価値なき者と同じです。
(3) 礼拝堂と共に心も再建される時間
教会の建築は建物だけ組み合わせ結び合わせる事ではないと思います。私達の心が、イエス様の愛と神の使命感によってもう一度、組み合わされ結び合わされる時間だと思います。
(4) 組み合わされ結び合わされることは聖霊のみわざ
聖霊によって組み合わされ結び合わされるのです。人間が組み合わせ結び合わせるのでありません。聖霊の力強い導きによって組み合わされ結び合わされるのです。
3.世代が組み合わされ結び合わされる
14-15節は子どもの信仰と大人の信仰を比べています。今日の聖書箇所だけ考えて見ると子どもと大人の一番の違いは何でしょうか。それは未熟な子どもと成長した大人です。子どもにはまだ、成長しなければならないところが沢山あることです。子どもは体も心もまだ、未熟ですが、信仰も未だ弱いです。私達も子どもの時がありましたが、今は大人になりました。信仰も子どもの時がありましたが今は大人になりました。このように教会は今の世代からその次の世代に繋がり、今の世代と次の世代が霊的に組み合わされ結び合わされていきます。そのように今の世代から次の世代に組み合わされ結び合わされていくうちに主の再臨があり、神の教会は完成されるでしょう。