聖 書: ヘブル書12章12節~17節

(12)それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
(13)また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。(14)すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。(15)気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。(16)また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。(17)あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。

 本日の中心聖句は「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」(14)です。聖書は「神のみこころは、あなたがたが清くなることである」(Ⅰテサロニケ4:3)。神はいつも私たちが「きよく」あることを願い、求めておられます。
 
Ⅰ.「きよめ」の用語とその意味 
ヘブル語では〈カードーシュ〉、ギリシャ語では〈ハギオス〉、英語では〈サンクティフィケーション・ホーリネス〉がよく使われます。この用語は「聖」を意味し、〈分離と献身〉を含んでいます。日本語では〈聖潔、聖化、聖霊のバプテスマ、聖霊の満たし、全き愛、キリストの内住〉などが使われています。その意味は〈キリストのようになる〉(ガラテヤ4:19)ことに尽きます。
 1.位置的聖化
 私たちはイエス・キリストを信じた時に罪から分離され、神専属の者とされたのです。「わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない」(テトス2:14)。
 2.初期的聖化
 誕生が人生の起点であるように、新生は聖化の始まりです。「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)。
 3.漸進的聖化
 人は誕生してから休むことなく走り続け、肉体的に、精神的に、社会的に成長していくのです。信仰もまた新生を出発点として信仰生涯を走り続けます。その間、様々な試練や困難に出会いますが、主の恵みによって〈きよめ〉られていくのです。
 以上の三つは標準的な教会においては理解されています。
Ⅱ.「きよめ」の転機(危機的聖化)
 すべてのキリスト者が漸進的に聖化されていくのではありません。その原因は人の内に潜在する自我性や肉性にあるのです。この問題の解決は〈全き悔い改めと明け渡し〉と〈キリストと共に死にキリストと共に生きる〉という危機的な経験にあります。この経験は〈聖霊のバプテスマ・聖霊の満たし〉とも呼ばれています。キリスト者は幾度もの危機を経験して螺旋状的に成熟していくのです。
Ⅲ.「きよめ」の追求
 新改訳は「聖められることを追い求めなさい」(14)と訳しています。
 1.なえた手と弱くなっている膝とをまっすぐにする。→祈り
 2.まっすぐな道をつくる。→誠実
 3.すべての人と相和しなさい。→平和
 4.神の恵みから洩れないように。→謙遜
 5.苦い根がはえ出ないように。→誘惑
   ①苦い根(申命記29:18)→偶像礼拝
   ②苦い胆汁(使徒8:23)→権勢欲
   ③悪の根(Iテモテ6:10)、→金銭欲
   ④苦い水(ヤコブ3:11)。→悪い言葉
 6.不品行な俗悪な者にならないように。→無知、軽薄
 新しい年と共に、お互いもまた新しい人にさせて頂きましょう。今年も共に主の恵みによってきよめを追い求め、主のみ旨に適う者と成長したいものです。