聖 書: ピリピ人への手紙1:1~2
(1) キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。(2) わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
▼本日は受難週礼拝であり創立満54周年記念礼拝でもあります。二重の喜ばしい聖日であることを感謝いたします。▼何事にも初めがあれば終わりがあるものです。しかし教会の場合は、何らかの理由で解散したり、中途で無くなってしまう事はありますが、本質的には教会はキリストの体であり、花嫁でありますから、花婿なるキリストが再臨された暁には花嫁として携えあげられ、永遠に存在するものです。▼そのような輝かしい教会につながっていることと、素晴らしい身分と特権が与えられていることに大きな感動と喜びを覚えなくてはなりません。▼今年度は「喜びの書簡」であるピリピ人への手紙を通してキリスト者としての恵みと喜びをご一緒に味わうことにいたします。
1.ピリピ教会の設立事情
教会は聖霊降臨日にエルサレム教会が最初に設立され、次にアンテオケ教会が設立され、その後は弟子たちの宣教によって新しい教会が次々と生み出されました。ピリピの教会もその中の一つです。詳しい設立の事情は使徒行伝16章に記されています。パウロがトロアス(トルコ半島の西端)にいた頃、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と懇願するマケドニヤ人の幻を見ました。彼は早速トロアスから船出してマケドニヤに渡り、ピリピに到着します。そこでのまず紫布の商人ルデヤ、次に占いの霊につかれた女奴隷、そして獄吏が救われたのです。バークレーは「ルデヤはアジア人、女奴隷はギリシャ人、獄吏はローマ人。この三人は社会の上流と中流と下流の全領域を代表している。イエス・キリストがもたらしたすばらしい信仰をこれほど包括的に示している箇所は、聖書の中でどこにも見当たらない」と指摘しています。この三人によってピリピ教会が始まったのです。
2.荻窪栄光教会の設立事情
当教会の創立者・森山諭師は、1957年(昭和32)12月15日、西尾春子姉宅において家庭集会を開かれました。翌1958年4月20日駒込において〔日本イエス・キリスト教団東京教会〕の看板を掲げて最初の礼拝式が5名で行われました。その後森山諭師と中田羽後師との摂理的な出会いによって現在地において、1960年4月17日から礼拝を守るようになりました。1966年12月18日に現教会堂が献堂され、「荻窪栄光教会」と改称され現在に至っています。その間、筆舌では表せない苦難があったでしょうが、すべては神の恵みによって今日まで守られてきたことを心から感謝いたします。同時にここに至るまで教会を守り、支えて下さった多くの先輩諸兄姉のご尽力を決して忘れてはなりません。
3.教会の特質
1節~2節はこの手紙の挨拶にあたります。発信人はパウロとテモテです。彼らは「僕たち」と呼んでいます。僕とは〔奴隷〕を意味する言葉です。受信人は「聖徒たち、監督、執事」です。「聖」とは〔清い〕と考えやすいですが、本来は〔俗なるこの世から分離された者〕を意味する言葉です。次に「恵みと平安とが、あなたがたにあるように」という祝福の言葉が記されています。この挨拶は単なる社交的な常套句ではなく、教会の特質を表している言葉です。「恵み」は賜物のことですが、最大の賜物は救い主であり、一切の罪が赦されることです。「平安」は救い主との和解によって初めて得られるものです。キリストの教えの神髄は〔魂の救いと平安〕であり、教会の特質は〔互いに赦し合うことによって真の平和を得ている者の集まり〕という事にあります。
教会は〔神によって、この世から召し出された者の集まり〕です。自分の意志で出入りする所ではありません。生涯主に仕え、教会を愛する者とさせて頂きましょう。