聖 書:ピリピ人への手紙2章1節~5節

(1) そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
(2) どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
(3) 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。
(4) おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
(5) キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。

 ある律法学者が「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」とイエスに質問しました。するとイエスは「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。(マルコ12:28-31)と答えられました。これは「愛神愛隣」と呼ばれるもので、倫理の基盤となるべき教えです。
倫理とは[人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの]と理解されますが、道徳やモラルと殆ど同意語として使われます。しかし[キリスト者の倫理]という場合は、単に人間関係の良い秩序を維持するためのものではなく、もっと深い意味と実質が伴っていることを理解したいと願います。
Ⅰ.倫理の基盤と障害
 パウロはキリスト者倫理の実際としての[謙遜と従順]を説く前に、すでにキリスト者に与えられている基盤と、障害を喚起させようとしています。
1.倫理の基盤 
 ここに五つの基盤を示しています。
 ①キリストによる勧め=勧めとは[慰め]とも訳せる言葉です。
 ②愛の励まし=勧めと同じように[慰め]とも訳せる言葉です。
③御霊の交わり=御霊は[助け主・慰め主]とも呼ばれます。私たちはこのお方と深い
  お交わりを頂いている身分なのです。
 ④熱愛=私たちの神は[愛の神]です。沸騰するような愛をもって私たちは愛されてい  るのです。
 ⑤あわれみ=「憐れみ」とは何という良い響きを持った言葉でしょうか。受けるには  何の功績もない者が、神から恵みを頂けるのは、ただ神の憐れみの故です。
2.障害の勢力
ここに倫理を障害するものを二つ記しています。
 ①党派心=自己中心から生じる分裂分派の元凶です。
 ②虚栄=仲の良い人々に、互いに争い合い、ねたみ合いを起こさせる元凶です。
Ⅱ.倫理の心得
 ここにキリスト者として倫理的に生きる心得が記されています。
 1.同じ思いとなること。
 2.同じ愛の心を持つこと。
 3.心を合わせること。
 4.一つ思いになること。
 5.人を喜びに満たしたいという思いを持つこと。
Ⅲ.倫理の実際 
ここにキリスト者の倫理の実際が記されています。
 1.へりくだった心を持つこと。
 2.互いに人を自分よりすぐれた者とすること。
 3.自分のことばかりではなく、他人のことも考えること。
 4.キリストにあって抱いているのと同じ思いを、互いの間で生かすこと。
 
パウロは倫理の基盤となるものが「いくらかでも」(if,any)あるなら実行に移しなさい、と勧めています。それが導火線となって、大きく燃え上がるのです。