聖 書:ピリピ人への手紙3章17節~21節

(17) 兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。
(18) わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。
(19) 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
(20) しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
(21) 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

玉木愛子さんは1887年(明治20年)に大阪の材木問屋の長女として誕生。小学校入学頃にハンセン病の初期症状が現れ、旧制女学校1年の秋、校医によってハンセン病と診断されました。症状の軽いうちは家族の温かい愛に育まれ、舞踊、琴、三味線、オルガンなどを習得。14才の春、母の口から「ハンセン病」であると知らされ、17才の春、熊本回春病院に入院し,1年半後の1921年(大正10年)に院長三宅俊輔の感化により受洗。
1933年(昭和8年)長島愛生園に転園、1969年(昭和44年)81才の生涯を終えました。終生、厳しい苦難と闘いながら、キリスト教信仰により、地上に生かされている意味と神の恵みを感謝しつつ、「毛虫這えり蝶となる日を夢見つつ」、「明けやすし真夜(まよ)の祈りと思ひしに」など感動深い多くの歌を残しました。
Ⅰ.キリスト者の生き方 (17~19)
 私たちはこの世に住み、生きています。この世は[神とサタンが共存し、互いに戦っている社会]です。しかし私たちは、この世においてすでに[天に国籍を持つ者]とされているのです。この世に生きている限り、サタンの誘惑や攻撃を受けることは当然のことですが、幸いなことに[天に国籍を持つ者]が勝利する秘訣がここに記されています。
 1.パウロにならうことです。パウロは「わたしにならう者となってほしい」(17)と言っています。パウロにとっての最大の敵は律法主義者でした。それに反するパウロの生き方はキリストに対する全き信頼と服従でありました。
 2.模範的な信者にならうことです。「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」(箴言27:17・新共同訳)と記されています。教会においては、私たちは互いに研磨され、研磨しているのです。
 3.サタンの実体を知ることです。彼らの最後は滅びなのです。彼らの神はその腹(欲望)、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことなのです。
Ⅱ.キリスト者の希望 (20)
 私達は現世に住み、かつ生きています。ですからこの世にあっていかに生きるか、ということは非常に大切なことです。しかし見失ってはならないことは、その目標(ゴール)です。その目標の如何によってその人の人生は大きく変わります。キリスト者の目標(ゴール)は[死=墓]ではなく、死を越えた、その先にある[天国]です。そこは想像の場所や架空の場所でもありません。そこは救い主キリストのおられる所です。キリストは私たちの罪の贖いを成就された後に天にお帰りになりました。そしてやがて私たちを天国に迎えるために再びおいでになります。そこにキリスト者の真の希望が存在するのです。ですからキリスト者はこの世における様々な苦難や困難にも喜びを持って堪えることができるのです。
 
Ⅲ.キリスト者の目標(ゴール) (21)
色鮮やかなあげは蝶でも、元はと言えば青虫や毛虫であり、やがて蛹(さなぎ)となり、脱皮して成虫となり空を悠然と舞うようになります。私たちも元はと言えば罪人のかしらでありながら、キリストに捕らえられて蛹となり、やがて脱皮して天国に迎えられて、キリストと共に永遠に天国において楽しい時を過ごす身分なのです。この世においては「卑しいからだ」であったとしても、キリスト「ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さる」のです。私たちはこの世では旅人、寄留者であって、国籍は天にあるのです。そこは「神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(黙21:3-4) 所なのです。
ローマ五輪の選手たちは金メダルを目ざして懸命に戦っています。チームの応援が大きな力となっています。互いに励まし合いながら私たちも走り抜きましょう。