聖 書:コロサイ人への手紙1章9~14節

(9) そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、
(10) 主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
(11) 更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、
(12) 光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。
(13) 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
(14) わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。

 中島が当教会に赴任したのは1990年3月のことで、早いもので23年目を迎えます。その間、約80組(160名)の結婚式があり、約100名の子どもたちが誕生しました。その長子はすでに大学生になっています。つくづく命の尊さ、力強さを覚えると共に信仰の継承の素晴らしさを噛みしめています。
 パウロはコロサイ教会のために絶えず祈りを捧げています。それは身体のことではなく、霊的成熟の為の祈りでした。その祈りは現在のキリスト者に対する神ご自身の祈りでもあります。ここにキリスト者の成熟の為の七重の祈りを見ることができます。
Ⅰ.神の御旨を深く知る(9)
 円滑な人間関係に必要なことは「相手を知ること」です。それは神との関係においても同じ事が言えますが、「神の御旨を深く知る」ことは容易なことではありません。聖書を注意して読みますと「霊的な知恵と理解力とをもって」とあります。つまり、罪赦され、義とせられ、神の子とされ、神の御霊を心の内に頂いているキリスト者にはすでに「霊的な知恵と理解力」が備わっているということが前提になっているのです。
Ⅱ.主のみこころにかなった生活(10) 
 円滑な人間関係は「相手を知る」という程度ではなく,「相手を喜ばせる・相手の願いを知る」という領域にまで進むのです。神との関係においても「主のみこころに適う・主を喜ばせる生活」ということが、第一義的な関心事となるのです。
Ⅲ.良いわざを行って実を結ぶ(10)
 「良いわざ」とは、決して人様が目を見張るような業績のことではありません。「神の御旨を知り、主のみこころにかなった生活」をしていれば、神は「愛・喜び・平和・寛容・慈愛・善意・忠実・柔和・自制」と言う御霊の実を結ばせて下さるのです。
Ⅳ.神を知る知識の増加(10)
 円滑な人間関係は、両者間により強い信頼関係を生み出します。私たちが良いわざを行って実を結んで行くことによって、ますます神を知る知識が増し加わって行くのです。イエスは「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるしてくださるであろう」(マタイ6:14)と言われました。
Ⅴ.神の栄光の勢いに従って強くされる(11)
 神との関係が強い信頼関係で結ばれことによって、私たちの信仰はますます強くなり、成熟していきます。それは決して自分の力や努力によるものではなく、「神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力」によるのです。
Ⅵ.何事も喜んで耐えかつ忍ぶ(11)
 人生には様々な苦難が伴います。キリスト者と雖も決して例外ではありません。私たちはどのようにしてこの苦難の坂を上ることが出来るのでしょうか。「神の栄光の力」こそが私たちを、勝ち得て余りある人生へと守り、導く原動力なのです。
Ⅶ.父なる神に感謝する(12~14)
ここに感謝すべき三つの理由があります。①「聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった」、②「やみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった」、③「あがない、すなわち,罪のゆるしを受けている」ことです。
 命あるものは必ず成長します。信仰も決して例外ではありません。お互い成熟したキリスト者としての歩みをさせて頂きましょう。