聖 書:コロサイ人への手紙1章15~17節

(15) 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。(16) 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。(17) 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

 一般社会ではは儒教・仏教・キリスト教・マホメット教が四大宗教、孔子・釈迦・キリスト・マホメットが四大聖人と呼ばれています。しかし聖書はキリストは他の三人が[真理を指し示した人]であるのに比して、[真理そのもの]であると教えています。イエスは「わたしは道であり,真理であり,命である」(ヨハネ14:6)と言われました。
1章15節から2章5節までには「御子の奥義」が記されていますが、1章15節から17節には[元始(固有)的栄光]、18節から23節には「[贖罪的栄光]が記されています。
Ⅰ.見えない神のかたち (15)
 神は「見えざる唯一の神」(Ⅰテモテ1:17)、「神は・・見ることもできないかた」(Ⅰテモテ6:16)です。また「父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわした」(ヨハネ1:18)と記し,イエスは「わたしを見た者は,父を見たのである。」(ヨハネ14:6)と断言しています。「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿」(ヘブル1:3)です。キリストこそ見えない神を見えるように現して下さったお方です。
Ⅱ.万物の長子 (15)
キリストは「すべての造られたものに先だって生まれたかた」です。キリストは神によって創造された方ではなく、万物が何もなかった世のはじめに、すでに「父のふところ」(ヨハネ1:18)に存在されたお方です。そのことを聖書は「生まれたかた」、「父の生(うみ)たまへる獨子の榮(さかえ)にして」(ヨハネ1:14・元訳)と表現しているのです。
Ⅲ.万物の主 (16)
 「万物は・・御子にあって造られた」(in Him)、新改訳は「御子によって」、新共同訳は「御子において」です。万物がまだ存在しなかった時に、キリストは存在され、その中に万物は造られていたと言う人知では理解しがたい,神秘的な出来事であります。
Ⅳ.万物の創造者 (16)
 「これらいっさいのものは、御子によって造られ」(by Him)、新改訳、新共同訳共に同じです。科学の進歩には驚きを禁じ得ませんが、宇宙万有がだれによって、何のために、どのようにして造られたのか、については未だに解明はされない謎です。そうした中で「万物は御子によって造られた」とは何という力強い宣言でありましょうか。
Ⅴ.万物の嗣子 (16)
 「万物は・・御子のために造られた」(for Him)、万物が御子のために造られたということは、万物は彼のものであると言うことであり、したがってすべての披造物は主の栄光を表すために存在するのです。
Ⅵ.万物の先在者(17)
 「彼は万物より先にあり」、万物の長子である方が「万物より先にあり」とは、至極当然のことであり、今更いう必要のない言葉のように思えます。しかし「彼・・あり」と読めば、それが単なる過去の事実という以上に、私と共に臨在されるという現実感を
覚え、大きな慰めを受けます。
Ⅶ.万物の保持者(17)
 「万物は彼にあって成り立っている」(in Him)、万物を創造された神は、「彼にあって」これを保持して下さっています。聖書は「その力ある言葉をもって万物を保っておられる」(ヘブル1:3)とも記しています。
 単なる聖人ではなく、真理そのものであられるキリストご自身の元始(固有)的栄光をしっかりと受け止め、揺るぎない信仰生活を送る者とさせて頂きましょう。