聖 書:歴代志上28:20~21

(20) ダビデはその子ソロモンに言った、「あなたは心を強くし、勇んでこれを行いなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。主なる神、わたしの神があなたとともにおられるからである。主はあなたを離れず、あなたを捨てず、ついに主の宮の務のすべての工事をなし終えさせられるでしょう。(21) 見よ、神の宮のすべての務のためには祭司とレビびとの組がある。またもろもろの勤めのためにすべての仕事を喜んでする巧みな者が皆あなたと共にある。またつかさたちおよびすべての民もあなたの命じるところをことごとく行うでしょう」。

 ダビデは神殿建築に対するビジョンを抱いた人でしたが、建築することは許されず、実際にはその子ソロモンの手に委ねられました
。そこでダビデはソロモンに対して「主はあなたを離れず、あなたを捨てず、ついに主の宮の務のすべての工事をなし終えさせられるでしょう」と激励している箇所です。
教会堂建築は建築会社の手に委ねられました。工務店が建てるのはどこまでも目に見える建築物としての礼拝堂です。教会の本質は目に見えないものです。外側も大切ですが見に見えない内側がより一層重要なのです。私たちには、目に見えない「主の宮の務に仕える」特権と責任があるのです。
Ⅰ.礼拝
 礼拝とは信仰の対象者に対して人間が伏し拝む行為です。どのような宗教であっても最重要視するものは礼拝です。モーセの十誡において神が最初に求めたものは「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。・・・それにひれ伏してはならない。・・安息日を覚えて、これを聖とせよ」(出エ20:1-5)でした。ヨハネは「父は、このような礼拝をする者たちを求めておられる」(4:23)と述べています。主日礼拝の厳守はキリスト信仰の要です。中田羽後師が当教団加入の決め手となったのはバックストンの「礼拝は祈祷よりも深淵なこと」という言葉でした。
Ⅱ.伝道
 主イエスが宣教の初めに語られた言葉は「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)でした。そして弟子たちに対して「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と命令されました。パウロは「聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか」(ロマ10:14)と述べています。私たちが信じたのは、誰かから福音を聞いたからです。ですから私たちには、まだ福音を知らない人に福音を伝える務めがあるのです。
Ⅲ.交わり
初代教会では「使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、祈をして」(使徒2:42)いました。律法には「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ・自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マルコ10:30-31)と記されています。主イエスも「互に愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と教えられました。
交わりは「神と私」という縦軸と「人と人」という横軸の双方が必要なのです。
Ⅳ.養育
 子供は親の養育によって成長して行きます。キリスト者には霊的養育が必要なのです。イエスは「すべての国民を弟子として・守るように教えなさい」(マタイ28:19-20)と命令されました。キリスト者にとって聖書を学ぶことは非常に重要なことです。それを通して霊的に成長していくのです。
Ⅴ.奉仕
キリスト者には、「預言、奉仕、教え、勧め、寄付、指導、慈善」(ロマ12:26-8)などの賜物が与えられています。これらの賜物を発見して他の人々に仕えることによって教会の目的に寄与するのです。
 新しい教会堂の完成と共に、内実の伴う教会になることが今求められているのです。今年一年、仮会堂期間を用いて、教会に要求される目的を遂行する新しい教会を目ざして共に励んで参りたいと願います。