聖 書:コロサイ3:14~17

(14) これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。
(15) キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
(16) キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。
(17) そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

 前回は「古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着る」ことを学びました。5節から9節において「古き人」の実像が記されていましたので、12節から13節までの「新しき人」の実像についても触れました。14節から17節にはさらに「新しき人」の生き方が記されています。それは教会内外における「キリスト者の生き方」と言える内容です。
Ⅰ.愛を加えなさい。
 12節と13節において「あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容、忍耐、ゆるす」という七つの徳目が勧められていました。14節では「これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい」と勧められています。愛は最高の徳(Ⅰコリント13:13)であり、信仰の動因(ガラテヤ5:6)であり、愛は律法の完成(ローマ13:10)、すべての徳目を結ぶ帯であります。愛がなければ徳目はキリスト者にとって大きな負担となり、義務ともなります。
Ⅱ.キリストの平和の支配
 キリストの平和は単なる平和論ではなく、平和の神のみが有する本質的な、完全な、そして心的、精神的、霊的な平和です。この平和が私たちの「心を支配するようにしなさい」と勧められているのです。
Ⅲ.キリストの言葉を宿らせなさい。
 「キリストの言葉」とは、キリストの語られた言葉であり、キリストについて語られた言葉でもあります。つまり神の啓示された福音の言葉を意味しています。この言葉は単にキリスト者個人に宿るだけでなく、信仰共同体である教会の中に豊かに宿ることをパウロはコロサイの教会に期待し、祈っているのです。
Ⅳ.互いに教え、訓戒しなさい。
 聖書は私たちに対して「互いに教え、訓戒しなさい」と勧めています。私たちは神との関係の中で、聖書を通して、祈りを通して、御霊の働きを通して多くのことを教えられ、学ぶことができます。しかし、それは簡単なようですが、実は非常に難しいことなのです。ですから聖書はそうした不備を補うために「互いに教え、訓戒しなさい」と勧めているのです。教えることはできても訓戒することは非常に難しいことです。しかし、私たちは愛をもって人を戒める勇気を持つと共に、人からの戒めの言葉に素直に耳を傾ける心の備えを持っていなければなりません。
Ⅴ.詩とさんびと霊の歌によって神をほめたたえなさい。
 中田羽後は聖歌(1958年版)の編纂に際して「詩とさんびと霊の歌」(エペソ5:19)を中心に据え(詩篇、賛美、霊の歌)と三分割しました。具体的にこれが何を意味しているかは詳らかではありませんが、より大切なことは「神をほめたたえなさい」と勧められているように、そのさんびが「神をほめたたえているか、どうか」が問題なのです。
Ⅵ.主イエスの名によってなしなさい。
 ある学者は「人間の活動の全領域の中ですべてに主権を持たれるキリストが『これはわがものなり』と主張できないような領域は一分なりとも存在しない」と言いました。
私たちは生活のすべてを「主イエスの名によってなすことが求められているのです。
Ⅶ.彼によって父なる神に感謝しなさい。
神がキリストにあって私たちに求めておられるのは「常に喜べ、絶えず祈れ、すべての事について感謝せよ」です。「感謝することは信仰の最大の表現」(B・ブライト)です。その秘訣は「彼によって」です。キリストと結合されていることを喜びとしましょう。
 どうか以上の7項目に留意しつつ、キリスト者として神に喜ばれる人生を歩み貫く者でありたいと願います。