聖  書:マタイ22章35節~40節

(35) そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、(36) 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。(37) イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。(38) これがいちばん大切な、第一のいましめである。(39) 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。(40) これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

 ルカ10章25-27節にも今日の箇所と同じ教えがあります。しかし質問の内容が違います。今日の箇所にある質問は36節「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」です。しかしルカ10章の質問は「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」です。質問は違いますが、答えは同じです。二つの戒めが私たちにとって大事なものであることは間違いありません。

1.神を愛しなさい
私たちは色々の奉仕を通して神を愛していることを表しています。その中で礼拝は神を愛している表現の一つです。私たちは心を集中し、心を込めて礼拝をささげなければなりません。礼拝の時、心と体が離れることがないように気を付けましょう。心、精神、思いを込めて礼拝にのぞみましょう。一時間の礼拝は大事です。なぜなら六日間の生活を表しているからです。心をつくした礼拝を通して神への愛を表したいものです。クリスチャンの人生において色々のことが大事ですが、神を愛し、神に愛されることより大事なことはありません。

2.隣人を愛しなさい
ここで隣人は誰をさしますか。私にとって隣人は私を愛してくれる人です。神にとって私の隣人は私に助けを求めている人です。私の隣人は未信者でもあり、すぐそばで共に礼拝している兄弟姉妹でもあります。未信者も大事な隣人ですが、同じ信者も大事な隣人です。未信者も愛しなければなりませんが、意見が合わない信者も愛しなければなりません。建築は外側への拡張でもありますが、内側を固めなければならない時期でもあります。建築の時は教会員と心が一つになれる時間です。

3.つくして、自分のように愛しなさい
 1)神を信じている私たちは神を愛していることは愛しています。それは確かです。しかし、心をつくして愛しているのかが問題です。心をつくして神を愛することは一生涯の課題です。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、神を愛せよ」と3回続けて「つくし」を繰り返しています。
 2)神を信じている私たちは兄弟を愛していることは確かです。しかし、自分のように愛しているかが問題です。自分のように兄弟を愛することは一生涯の課題です。
 3)愛は聖霊に満たされた証拠です。神と人への愛があるときは聖霊に満たされています。反対に礼拝・み言葉・家族や隣人に無関心になる時は聖霊に満たされていません。
 これらの三つは全部現在進行形でなければなりません。
イエス様は私たちに生きる理由、奉仕する理由を二つにまとめてくだいました。神と人への愛です。建物が新しくなると新たなルールが生まれます。しかし、神への愛、隣人への愛は永遠に変わりません。私たちは神を愛し、人々を愛するために建築をしています。兄弟姉妹と心が分かれるために建築しているのではありません。新会堂は私たちの心が一つにまとまっていることを表すものになってほしいです。