聖 書:ヘブル11章13~16節

(13)これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
(14)そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
(15)もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
(16)しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

坂本九の歌に「上を向いて歩こう」(1961年)があります。1963年に「SUKIYAKI」というタイトルでアメリカでも大ヒットしました。彼は1985年8月13日に起きた日航機墜落事故により、43才の若さで亡くなりました。この歌は男女の別れを綴ったもので、多くの人々に夢と希望を与えました。どうして世界的なヒットにつながったのか。そこには私たちが日常抱えている失望と希望、落胆と勇気、有限と無限、敵対と和解、地と天、汚れと聖潔、愛と憎と言った普遍的な課題に私たちの思いが広がり、共感を覚えたからではないでしょうか。

Ⅰ.人の一生は旅人であり寄留者
ヘブル11章には「信仰によって」様々な苦難、迫害を乗り越えて生涯を全うした聖徒たちの姿が描かれています。そこには「天にあるふるさと」への渇望が溢れていましたから「地上では旅人であり寄留者」と表明することができました。芭蕉は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす」(奥の細道)、家康は「人の一生は、重荷を負うて遠き路を行くが如し」(東照宮遺訓)と残しています。「鮭の一生は旅人の一生」です。秋頃に産卵・放精のために故郷の川に戻り、目的を果たして生涯を終えます。卵は2ヶ月でふ化して稚魚になり、やがて海に向かい北洋に移動し、4歳になった時に故郷の川に戻ってきます。不思議な現象(母川回帰)ですが、それは本能として与えられた嗅覚によるものです。

Ⅱ.天にある故郷
聖書は「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3:11)と言い、「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ3:20)と記し、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)と宣言しています。つまり聖書の生命観によれば、人は創造の初めから神のかたちに創られ、永遠に生きる命を与えられています。人の堕落によって喪失された命は、キリストの贖いによって再び信じる者に無代価で提供されています。それは仏教における輪廻転生や自然界における命の循環とは異なります。キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と明言しておられます。この信仰の故に私たちもまた、様々な人生の苦難に耐え忍び勝利することができるのです。

Ⅲ.天にある故郷を求める 
キリスト者は決して厭世主義者、世俗軽視者、現実否定者でもありません。水車が川の流れに浸り過ぎても、逆に接触していなければ、回ることができません。ほどよい距離が必要なのです。アブラハムは「天を仰いで星を数え」(創15:5)ました。ヤコブも「天に達するはしご」(創28:12)を見ました。パウロもまた「上にあるものを思うべき」(コロサイ3:2) であると強調しました。お互いの生涯には走るべき行程があります。しっかりとゴールを目ざして完走させて頂きましょう。

故郷は「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(黙21:4)素晴らしい世界です。人生は苦難の連続ですが、お互いの生涯のゴールである故郷を思う時に、すべての境遇に勝利し、日々平安に満ちた生活を営むことができるのです。