聖 書:Ⅱコリント 5:16~19

(16)それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。
(17)だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
(18)しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
(19)すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

第4回日本伝道会議(2000/6/27-30・沖縄宜野湾市)の主題は「21世紀の日本を担う教会の伝道-和解の福音を共に生きる-」でした。会議は「沖縄宣言」を採択して終了しました。私たちの住む人間社会には、現在もなお夫婦、兄弟、親戚などの家族関係において、また友人、知人、隣人、職場、学校、国家、民族、宗教などの社会関係において、更には自然との関わりにおいて解決しなくてはならない課題が存在しています。「和解の福音」という表現は、聖書の教える救いの本質を適切に表しています。聖書を通して、「和解の福音」の真理をしっかり弁え、真理に生きる者として頂きたいと願います。

Ⅰ.神と人との和解
人間は天地万物を創造された神によって造られましたが、罪のために神との関係を破り、神に敵対するものとなってしまいました。罪人となった人間は、自らの罪を償い、神との関係を回復することはできません。神は大いなる愛の故に、イエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上における贖いの業と死からの復活によって神との正しい関係を回復する道を開いて下さいました。この真理はキリストを信じる信仰によってのみ与えられる「神との和解」の恵みであり、聖書が示す福音の主題であり核心部分です。この真理は十字架の縦軸において表される「神との和解」であって、神の一方的な歩みよりによって成就したものです。
聖書は「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」と教えています。

Ⅱ.人と人との和解
「和解」とは、平易に言えば「ゆるし合うこと」です。私たちは長い人生において、誰しもが傷を受けたり与えたこと、躓いたり躓かせたこと、裏切られたり裏切ったこと、嘘をついたり騙されたこと、互いに争ったこと等々、心のしこりになっている問題があるものです。聖書は「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」(エペソ4:32)と教えています。この真理は十字架の横軸において表されている「人と人との和解」であって、双方の歩み寄りによって実現します。「神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務めをわたしたちに授けて下さった」のです。

Ⅲ.真(まこと)の和解
神はキリストによって「神と人との和解・人と人との和解」の道を開かれました。この真理の実現のために、「互にゆるし合いなさい」、「聖霊による一致を守り続けるように努めなさい」(エペソ4:3)と勧めています。科学の問題の解決は原因の除去にあります。しかし心の問題の原因は一様ではありません。ですから大切なことは「解決」を急ぐのではなく、どちらが正しいかよりも、互いに相手を理解し合うことです。自分の言動の正当性よりも、相手がどう受け取ったかが、重要なのです。指摘するのは問題そのものであって、相手の人格ではありません。そうした寛容な姿勢の中に真の和解を見出すことが出来るのです。

真理を犠牲にして、なお平和を保とうとするのは、偽りの信仰であり、慈愛を犠牲にしてなお真理を保持しようとすることは、的外れの熱心である。(パスカル)