聖 書:ローマ15:1~13
(1)わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
(2)わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。
(3)キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。
(4)これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
(5)どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
(6)こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
(7)こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
(8)わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、
(9)異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。
(10)また、こう言っている、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
(11)また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
(12)またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。
(13)どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。

国連難民高等弁務官事務所発表によると、2014年末の時点で世界中で5,950万人が内戦や治安悪化などによって難民や国内避難民などとして故郷を追われ、強制的に移動しなければならない状況に置かれています。最近ヨーロッパ諸国ではシリア難民の受け入れ対応が大きな課題となっています。2013年の統計ではドイツは10,915人、フランスは9,099人と容認的ですが、イギリスやイタリヤは容認には否定的です。因みにアメリカは21,171人、韓国は59人、日本は2014年の統計では認定者は11人で、人道的な理由を配慮し在留を認められた人が110人、合計121人です。人道的には受容できても、実際的には複雑な問題が絡んできます。

Ⅰ.強い者は、強くない者の弱さを担う
パウロは「強い者は強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない」(1)、「わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった」(3)とイエスの模範に倣うように勧めています。つまりキリスト者には何事においても他者の立場に立って他者の必要に応じる広い心が求められているのです。国際NGO「オックスファム」の推計によると、世界の裕福な62人分の冨は、貧しい人36億人分に相当すると発表しました。何とも切ない現実に多くの人々は愕然としたのではないでしょうか。

Ⅱ.忍耐と慰めの神に望みをおく 

他者を受けいれると言うことは容易なことではありません。人を評価する際に「あの人は器が大きい、懐が深い、度量がある」という言葉が使われます。生来の気性にもよりますが、経験や努力によって成長することも確かです。ローマ15章3節の「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と言う言葉はキリストの苦難を意味しています。キリストの生涯もまた苦難と忍耐の連続でした。聖書は「忍耐と慰めとの神」と記しています。ここに私たちの希望があります。私たちの努力や修業では到底達し得ない領域に私たちを導いて下さるのです。私たちは性格や容貌や能力の違いによって他者との間に壁を作り易いものです。パウロは「イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、心を一つにし、声を合わせて、神をあがめさせて下さるように」(5-6)と祈っています。私たちは「忍耐と慰めの神」に望みをおいて、パウロの祈りを私の祈りとして共に捧げたいと願います。

Ⅲ.互いに受け入れて神の栄光をあらわす
社会には経済的、人種的、文化的など多くの格差が存在します。初代教会には選民ユダヤ人と異邦人との間に宗教的な格差が存在しました。ユダヤ人は割礼を受けていることを誇りとし、無割礼の異邦人を見下げました。「キリストは神の真実を明らかにするために割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである」(8)。そこでパウロは「キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。」(7)と勧めたのです。

パウロは「望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」(13)と祈っています。「互に受けいれる」ということの素晴らしさを、共に祈り合うことを通して体得させて頂きましょう。